大震災発生でやむを得ず矛を収めた世論
二度も菅首相の続投を許す結果に
4月10日投開票の統一地方選挙で、民主党は予想通りの惨敗を喫した。
これは、実質的に菅直人政権に二度目の不信任が突きつけられたことを意味している。一度目は言うまでもなく、昨年の参院選における大敗だ。
ところが、国民にとって幸か不幸か、二度とも首相自身への期待や適格性とは全く別の事情で首相の続投が容認された。
参院選での大敗は、当然菅首相の退陣を求めるものであったにもかかわらず、別の事情、すなわち、自民党や小沢一郎氏の復活に対する根強い警戒感や、「首相がコロコロ代わるのはよくない」という世論によって菅首相の続投ということになった。
首相続投に強い期待はなかったものの、それでも「ここでがんばって挽回してくれ」というささやかな願いもあった。
しかし、その後、尖閣、北方領土問題や北朝鮮の砲撃事件など大きな失点を重ね、ついに内閣の支持率は20%前後にまで落ち込むに至った。
そして、とどめの一撃となったのは、3月11日に発覚した首相自身の外国人献金問題。首相は絶体絶命の窮地に立ち、誰もが首相退陣は必至であると感じた。そこに、東日本大震災が発生したのだ。
これではとても首相交代どころではなくなった。政界も世論も「大震災では首相を代えるわけにはいかない」と矛を収めたのだ。
世論は菅首相に対する不安感や不信感を封印して、「今度こそしっかりがんばってくれ」と強く願ったのである。それはもちろん菅首相の延命のためではない。ここで首相がしっかりしなければ、災いは5倍、10倍となって国や国民に及ぶからだ。震災発生後しばらくは首相批判が鳴りを潜めたが、それは、首相が間違った言動をしないように願う祈りのようなものと私は感じた。