日本企業は
会議の「知的生産性」が低い

 今回は終身雇用制度と組織の創造性について考えてみよう。終身雇用制度を採用していると、その良し悪しは別として、人々は「金太郎アメ」になりやすい。それでは、金太郎アメだとまずい場面とはどのような場面だろうか。

 ビジネスにおいては一人の人間が頭の中で、つらつら考えてアイデアをひねり出しても、その幅や深さには限界がある。だから、社内にいる人同士、業務上関わりを持つ人同士が、情報と知恵を出し合って、ものを言い合いながら、業務上必要な新しい何かをつくっていくことが、組織活動として絶対に必要である。

 ただし、日本企業の中では、こうした組織活動について、積極的に市民権を得た用語がない。かなり以前のホンダには「わいがや」、つまり、わいわいがやがやと日常的に組織内で議論するという意味での活動があり、それなりにビジネス用語として使われたが、今はこの言葉を聞かない。

 ビジネススクールという種類の学校では、そうした活動にはディスカッションという名前がついている。企業活動においては会議、会合、ミーティングあるいはブレスト(ブレーンストーミング)などと呼ばれている活動があるが、日本の企業では上に述べたような積極的な意味での議論がなされることは少なく、あまり得意でない。

 そのことがひと目見てわかるのが、日本企業の会議であり、会議のディスカッションリーダー、または議長のさい配のふるい方である。そのさい配がとても稚拙で、自分ばかりしゃべって、会議が終わってしまう。時には同意を求めて、「そうだよな」と出席者に話しかけるが、「うん」と同意されると、先に進んでしまう。

 このように日本企業の多くは、会議の知的生産性が低い。だから、会議が伝達、指示、了承という機能を果たしても、洞察、刺激、創造というジャンプの求められる課題を追求できない。