津波の犠牲になった多くの当事者たち
未だに安否確認できない人も多数
宮城県石巻市に住んでいた20歳代の引きこもり男性は、津波に家ごと流されて、亡くなった。
男性は、それまで長年、部屋にこもりきりだった。
毎日、母親が食事をお盆に乗せ、彼の部屋の前に運んだ。しかし、食べるとすぐに吐き出した。彼は家族が誰もいなくなると、家の2階にあるトイレに入った。
着替えるのは、年に1度か2度。風呂には、4年ほど入浴していなかった。
宮城県塩釜市で、カウンセリングのためのCafe「森遊」を営むカウンセラーの蜂屋美子さんは、そんな彼とメールのやりとりによって会話を続けてきた。彼の母親のカウンセリングも行ってきた。
そのうち、彼は部屋の外に出てきた。家の中では、外のお客がいなければ、少しずつ過ごせるようになった。
「父親の仕事を手伝いたい」
そんな目標まで口にするようになった。
しかし、あの日、自宅に1人きりでいた彼は、家から逃げることができず、津波に襲われた。
両親は、内陸部の会社にいたので、無事だった。彼が亡くなる直前、どのような行動をとったのかはわからない。
ただ、彼の遺体は、ネットの安否情報で探して、見つけることができた。
他にも、蜂屋さんがカウンセリングしていた引きこもりの人たちは、石巻市や東松島市、南三陸町など、津波の被害の大きかった沿岸部の居住者が多く、亡くなった当事者が何人もいる。しかし、震災後、連絡が取れていないため、そのときの状況はわかっていない。
蜂屋さんが、東松島市に住む、ある20歳代の当事者の自宅を訪ねてみると、家は跡形もなく消えていた。携帯にかけてみると、「電源が入っていないので、かかりません」のメッセージが流れる。
一体、どうしているのか。安否確認はまだできていない。