「豚一殿」というあだ名で呼ばれた人物がいた。徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜である。
豚というのは豚肉を食べることから、一は養子に入った一橋家に由来している。もちろん、いいあだ名ではない。当時、日本人は公には獣肉を食べなかった。堂々と食べる慶喜を見て、世間の人は驚き、こんな風にささやいたのだ。
しかし、慶喜は周囲の人の反応など気にしなかった。横浜の港が開放されると、いち早く肉を取り寄せていたという。新しいものが好きだった彼は、隠遁後も輸入された自転車や自動車をいち早く入手し、趣味は写真だった。これらのことからも慶喜が先進的な人間だったことがうかがえる。
ひ孫の慶朝氏によると慶喜はべったら漬けが好物で、冨貴豆も好きだったらしい。また、好奇心はいつまでも旺盛で、隠居後に興味があった玄米パンを女中に買いに行かせた、という話もある。
また、晩年は硬い食べ物は避け、好きな漬物も多くは食べないようにしていた。和食の淡白なものを選び、タイ、カツオなどの刺し身やウニ、ナマコ、鶏卵の半熟などを好んだ。洋食は時々、食べる程度だが、食欲がないときは無理をせずにパンとミルクだけで済ませることもあったという。