金融市場と右派経済学者は問題を完全に逆にとらえている。緊縮政策は成長を損なう。信頼回復どころか負の連鎖が始まる
(Joseph E. Stiglitz)
2001年ノーベル経済学賞受賞。1943年米国インディアナ州生まれ。イェール大学教授、スタンフォード大学教授、クリントン元大統領の経済諮問委員会委員長、世界銀行上級副総裁兼チーフエコノミスト等を歴任。現在はコロンビア大学教授。
ほんの数年前、強力なイデオロギー──規制のない自由な市場こそが繁栄への道だとするイデオロギー──が、世界を破滅の瀬戸際に追い込んだ。アメリカ流に規制緩和された資本主義は、1980年代初めから2007年までの絶頂期にさえ、世界で最も豊かな国の最も豊かな人びとにしか、より大きな物質的幸福をもたらさなかった。実際、このイデオロギーが支配していた30年のあいだに、ほとんどのアメリカ人は、所得が年々減少するか、頭打ち状態になるかのどちらかを経験したのである。
そのうえ、アメリカの成長は経済的見地からすると持続不可能だった。アメリカの国民所得のきわめて大きな部分がきわめて少数の人びとの懐に入っていたのだから、どんどんふくらむ借金で賄われる消費によってしか成長を持続させることはできなかったのだ。
私は、金融危機がなんとかしてアメリカ人に(また他国の人びとに)格差の縮小、規制の強化、市場と政府のよりよいバランスの必要性を思い知らせてくれることを願った者の1人だった。悲しいかな、現状はそうなっていない。それどころか、例によってイデオロギーと利益団体に後押しされた右派経済学の復活が、グローバル経済──少なくとも右派経済学の考え方が引き続き幅をきかせている欧米諸国の経済──を再び危険にさらしているのである。
アメリカでは、この右派経済学の復活──その信奉者たちは数学と経済学の基本原理を明らかに破棄しようとしている──は、国債のデフォルト(債務不履行)を余儀なくさせる恐れがある。議会が歳入を上回る支出を命じたら、資金不足が生じ、その不足分はどこかから調達しなければならない。右派は政府の個々の支出プログラムの便益を、それらの便益の費用を賄うために税金を引き上げるコストと慎重に秤にかけるのではなく、大ナタを振るおうとしている。国債残高の増大が容認されなければ、支出は税収の範囲内に抑えざるをえなくなる。
その場合、どの支出を優先するかという問題が残り、デフォルトを避けるために国債の利払いが優先されることになる。自由市場イデオロギーによって引き起こされた危機が続いている今、政府支出を削減すれば、必然的に景気後退を長引かせることになる。