◇歴史教育批判

 「日本を守る国民会議」は、教科書改善と教育基本法改正運動を主として展開していた。その根本にあるのは、歴史教育が日教組の「階級史観」に立脚しているという認識だ。戦後の歴史教育によっては歴史のなかに一体感を持てないとし、祖国に対する愛情を育てるため、天皇―国家―自己の生命を貫く根源的価値に目覚めさせることが必要だと訴えた。

 たとえば、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーである藤岡信勝東大教授(当時)は、戦後の歴史教育を鋭く批判している。戦後の歴史教科書では、マルクス主義史観と、外国の国家利益が起源の東京裁判史観が主流となってしまった。この呪縛から自由にならなければならないというのが藤岡の主張だ。

「つくる会」はその後、内紛が勃発したことで分裂してしまう。期待していた扶桑社の歴史教科書の部数低迷が原因だった。

「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」が編集した育鵬社(いくほうしゃ)の中学歴史と公民の教科書は、次第に採択されるようになってきている。2016年の神奈川県では、シェアが39%にも達した。これは日本会議神奈川の副運営委員長が、「教育を良くする神奈川県民の会」の運営委員長を兼ねていたことが大きい。

 日本会議は2006年に教育基本法の全面改訂にも成功した。地方議会決議・国民集会・署名活動といった戦術を駆使しての成果だった。改定のポイントは、個人の尊厳を重んじる旧法から、公共の精神と伝統を重んじる価値を盛り込む点にあった。

◇靖国参拝と国家護持

 国神社は、戦争遂行を担った重要な国家機関と見なされ、戦後GHQによって一宗教法人として政教分離された経緯がある。これに反発した靖国神社は、普通の神社ではなく戦没者を神として祀る神社であるとし、国家管理下で戦没者慰霊をおこなう「国家護持」へと動いた。

 1960年代から、何度も自民党から靖国神社法案が出されたが、猛烈な反対で成立しなかった。その後、自民党は迂回戦術に切りかえ、首相らの公式参拝で国家護持を実現させようとした。ところが、1978年に突如、靖国神社はA級戦犯14人を合祀するようになった。これにより、国内問題であった靖国問題が、外交問題に発展した。

 1985年、当時首相だった中曽根康弘は靖国を公式参拝したが、中国や韓国から非難を浴び、以後は参拝を止めた。この行為を日本会議の黛敏郎(まゆずみ・としろう)は、「大東亜戦争は侵略戦争ではない。占領政策が植え付けた罪の意識が、日本を覆っている」と批判した。その後も、日本会議は毎年のように首相の靖国参拝を実現させようとしている。