本稿は、1950年にドラッカーが初めてHBR誌に寄稿した論文である。 当時、アメリカでは労働組合が台頭し、 アメリカ産業史における混沌期の最中であった。 それゆえ、本稿にも労使関係という文脈が流れているが、 その後の著作によって我々が知る「ドラッカー経営思想」の一端をまさしく垣間見ることができる。 経営者を経営者たらしめるものは何なのか。 それは、経営者がその役割と責任を果たすことである共に、 マネジメントという職能について、社会が正しく理解することであると指摘する。
マネジメントという職能への無理解
利益や生産性の向上がなぜ必要なのか、その際、いかなる役割が求められるのか──。
このことをアメリカ国民、とりわけ労働者たちが理解し、受け入れない限り、自由企業制度は存続しえない。アメリカ企業の経営者たちも、ここ数年になってようやく気づいたようだ。そして、等しく大切なのは、マネジメントという職能について理解し、これを受け入れることである。しかしこれまで、この職能について、だれもさしたる関心を払うことはなかった。
とはいえ、アメリカの労働者たちが、このマネジメントという職能を頭から拒絶しているわけではない。実際、イギリス労働党のパンフレットが謳う「上司を追い出して、賃上げを!」といったスローガンは、アメリカの労働者にはほとんど見向きもされない。
むしろ、個々の経営者の能力や誠実さには、大きな畏敬の念が寄せられている。にもかかわらず、「経営者は何を行うのか、またなぜ行うのか」については、まったく理解されていないのである。