マネジメントとマネジャーの登場と共にさまざまな科学的な手法や理論が生まれてきた。ドラッカーは、そのような経営科学に疑問を投じる。手法論といった隘路に陥り、本末転倒ではないかと――。

そして、組織は人間から成り立つシステムであり、経営科学がここに資するには、他の科学同様、学問体系としての定義と公理を具体化し、しかるべき敬意が払われる必要があるという。さて、40年前に本稿で指摘された経営科学の問題点は、もう解消されたのだろうか。

経営科学はこのままではいけない

 しばらく前、ある経済団体から「経営科学と事業計画」というテーマで講演を頼まれた。

 これがきっかけとなって、オペレーションズ・リサーチ(OR)、統計理論、統計的意思決定論、システム論、サイバネティックス(注1)、データ処理、情報理論、計量経済学、管理会計、会計論など、ここ4、5年に発表された経営科学関係の文献を総ざらいすると共に、経営科学が応用されている企業活動――社内スタッフか社外コンサルタントによるかにかかわらず――についてもつぶさに観察してみた。

 その結果、私は経営科学への期待は当然のものだと感じた。たしかにマネジメントには「アート」の部分が残る。経営者や企業の業績は、経営者の才覚や経験、ビジョン、決断、経営スタイルなどに左右される。ただし、それは医学にもいえることである。

 そして医者と同じく経営者も、マネジメントに関する知識が豊かであり、造詣が深いほど成果を上げられる。しかもこれらの知識が、1つの体系として成立しうることは、これまでの経営科学の歩みからいって明らかである。

 ところが同時に、私は経営科学への懸念も持った。たしかに可能性はある。だがその可能性は実現しないかもしれない。我々は、経営者や起業家が必要とする知識やコンセプト、体系の代わりに、テクノクラートが喜ぶような経営手法が詰まった道具箱を開発しているだけなのかもしれないのである。

【注】
1)サイバネティックス(cybernetics)とは、1948年、アメリカの数学者ノーバート・ウィーナーが提唱した、生物か機械かを問わず、これらがある目的を達成するために実施する情報処理や情報管理に関する方法論および概念。詳しくは『サイバネティックス第2版:動物と機械における制御と通信』(岩波書店)を参照のこと。