「国境の破壊」「既存の国際秩序への挑戦」「世界史的意義」などなど、様々な言葉で飾り付けられてきたイスラーム国(IS)も、衰退、消滅へと着実に歩を進めている。
2017年7月にイラク軍が同派の最大の拠点であるモスルの奪回を宣言したことは、「イスラーム国」の拠り所や、実在性を強く揺さぶった。「イスラーム国」は現在もシリアやイラク、あるいはその他の地域で領域を占拠しているが、同派の「統治」の実態に鑑みれば、占拠していた地域の中で群を抜いて人口が多かったモスルを喪失した打撃は回復不能とすら言える。
2015年の人質殺害事件や幾多の国際テロ事件を通じて、日本人の心にも大きなインパクトを与えた「イスラーム国」の現状とは? 足もとで「崩壊間近か」という報道も出るなか、本稿では、「イスラーム国」とはいったいいかなる現象だったのかを、同派の成り立ちや実態に着目して考察する。
日本人にも大きなインパクト
誰が「イスラーム国」を育てたか?
まず、「イスラーム国」の生い立ちを詳しく振り返ろう。最初にはっきりさせておくべきことは、「イスラーム国」とは「国家」やそれに準ずる政体ではないということだ。なにがしかの政体として「統治」しているというのは、「イスラーム国」側の宣伝に過ぎない。「イスラーム国」とはテロ組織・犯罪集団の固有名詞に過ぎず、そこに政体としての実態や正統性を見出し得ない。
「イスラーム国」の起源は、1979年以降ソ連軍と戦うためにアフガニスタンに渡ったアラブ・ムスリムの戦闘員たちである。そうした戦闘員の流れを汲む集団の一つで、アブー・ムスアブ・ザルカーウィー(ヨルダン人。本名はアフマド・ハラーイラ)が率いる集団が、2001年のアメリカ軍の侵攻後にイラクに移転した。
彼らは、2003年のアメリカ軍のイラク占領後に武装闘争を活発化させ、日本人を含む外国人の誘拐・斬首映像の発信などで世界的に著名になった。このグループが、2004年秋にウサーマ・ビン・ラーディンに忠誠を表明し、「二大河の国のアル=カーイダ」を名乗った。この行為は、各地のイスラーム過激派武装勢力がアル=カーイダの名声や威信を利用して自らの活動を正当化し、アル=カーイダの側は自身の勢力が世界的に拡大しているかのように装うという、「アル=カーイダ現象」現象の嚆矢となった。