一言余計も、一言足りない、も使い分けが大事

――今のような女性の社会進出を、どうご覧になったでしょうね。

 むめの夫人は先見の明がありました。いずれそういう時代が来る、ということを予見していましたね。実際、妹さんには簿記や英語を習わせたりしているんです。そういうものが女性にも必要になる時代が来ると、予想していたからできたことでしょう。

 ただ、これも小説に書いていますが、女性の社会進出には落とし穴もあるわけですね。せっかく仕事でうまくいったのに、肝心の夫婦や家族がうまくいかないこともある。例えば、女性が仕事で成功して夫よりも収入が多くなってしまった、ということはありえることでしょう。

 もし、むめの夫人なら、絶対にご主人にそのことは言わないでしょうね。収入は低く見せて、その分は貯金でもしておく。

 逆に考えが浅くて、私はダンナよりもたくさん給料をもらっている、などとまわりに言いふらしたりしてしまったら、どうなるか。それは、実はダンナさんをバカにしていることになるわけです。

 奥さんがそう思っていなかったとしても、まわりはそう認識するんです。だから、絶対にやってはいけないことなんです。

――では、むめの夫人なら、どんなアドバイスをしたでしょうか。

 こんなことを言ったらダンナさんに恥を掻かせてしまうかもしれない。その意識を常に持つ、ということでしょうね。その意識があれば、不用意な発言はしなくなるでしょう。言いたいことを言うな、とは言いません。しかし、言ったことが余波をもたらす、という想像力は必要です。

 女性の社会進出はいいこと。それは間違いない。ただ、男性と対等の立場なのだから、と夫婦関係までも権利主義でとらえてしまうと、難しくなると思います。

 離婚が多くなっている原因には、こうした意識のすれ違いで知らず知らずの間にお互いを傷つけてしまっていることも挙げられるのではないでしょうか。

 言葉は本当に難しいんですね。これは男でも女でもそうですが、ちょっとしたことで、傷ついたり、落ち込んだりする。そうする可能性がある、ということをお互いが意識しながら会話しないといけないでしょう。一言余計も、一言足りない、も使い分けが大事。それを頭でしっかりコントロールできたのが、むめの夫人なんですね。

 つまらないプライドのために、一番大事な夫婦関係を壊してしまっては意味がありません。では、お互いのプライドを保ちながら、どう会話をすればいいのか。そのヒントも小説の中に入っていますから、ぜひむめの夫人に学んでほしいと思います。

米国・タイム誌のカバーストーリーに掲載された松下幸之助社長夫妻(タイム誌撮影。1962年)

 いずれにしても、今は男も女も反省しないといけないと思います。ただ、うれしかったのは、この小説を読んでくださった女性編集者から、「わが身を振り返って反省しました。そして、むめの夫人の生き方に涙が出ました」と言ってもらえたこと。

 むめの夫人は家庭で夫を支えた人でしたが、ああ、働く女性にもこんなふうに思ってもらえるんだな、と思いました。反省できるから、成長もできるんですね。そういう姿勢でこの本を読んでもらえたなら、むめの夫人も、きっと喜んでくれると思います。