見事だった「夫婦ゲンカの納め方」
――それは、どんなところに出てくるんでしょうか。
例えば、猛烈な夫婦ゲンカをする。でも、夫婦ゲンカは、夫婦の絆を強めるという思想を、ご夫妻はお持ちでした。言いたいことはしっかりお互いに言う。そうでないと、不満がくすぶり始めるわけです。
ただ、むめの夫人が見事だったのは、夫婦ゲンカの納め方です。まずは冷却期間を置いて、しばらくして必ず夫人から声をかける。男のメンツをつぶさないわけです。
幸之助さんの性格もよくわかっていた。本当にちょっとしたことなんですね。お互いの長所と短所を見極めて、押したり引いたり、を考える。それはもう、夫婦関係の意味でも、人間関係の意味でも、むめの夫人の行動というのは本当に勉強になります。
――幸之助さんもそうでしたが、むめの夫人も礼儀にはかなり厳しかったそうですね。
自分が恥ずかしいからではないんです。人に恥をかかせたくない、という思いがあるんですよ。従業員に恥をかかせたくない。だから、時には鬼にもなるし、仏にもなった。
でも今では、畳の上を歩くときに、縁を踏んではいけない、なんてことを意識できる人がどれだけいるでしょうか。そういう世の中になってしまったんですね。
むめの夫人が生きていれば嘆いたと思います。家族の関係も、親子の関係も、親戚づきあいも、人と人との絆もどんどん失われつつある。
礼儀についても、『神様の女房』にはたくさん記述が出てきます。家族や親子の絆についても、もし生きていたら、こんな話をするやろな、という思いの丈を小説の中で語ってもらっています。
今、起きている日本の危機に、警鐘を鳴らせる一冊になってくれれば、と思っています。
――晩年は、世の中の状況を嘆かれていたりしましたか。
それはそうです。テレビもよくご覧になられていましたから、なんでこんなことを、という話はよくされましたね。人としての踏むべき道をちゃんと踏まない風潮には、憂えておられました。
礼儀作法もそうなんですが、当たり前のことなんですよ。当たり前のことができないのに、枝葉末節に思える、どうでもいい表面的なことにこだわろうとするでしょう。
どんなに表面的に立派になっても、当たり前のことができていなければ結局、足元をすくわれるのが人間なんですよ。
しかも、むめの夫人の場合は、それを自ら指摘する機会も持っていましたからね。
――それは、どういうものですか。
小説にも出てきますが、松下電器に務める従業員の夫人の成長をサポートしていたことです。特に重役になろうとする人の奥さんには、夫と一緒に奥さんも成長しないといけませんよ、という話を常にしておられました。経営の第一線から身を引いた後は、ここに自分の役目を見出したんでしょう。これがまた、会社への貢献になる、と。
要するに、ご主人は会社で出世するときに、鍛えられるわけです。鍛えられて成長して出世を遂げる。ところが、奥さんはどうですか、ということなんですね。それで世間体は本当に保てますか、と。重役の夫人には、重役の夫人にふさわしい行動、立ち居振る舞いや習慣があるわけです。それを教育しないといけない、と。
例えば、和服を着こなすのは、トップレディーのひとつの要件だ、というのが、むめの夫人の考えでした。だから、重役の奥さんの会合のときは、必ず和服で来るように、とやかましく言っていた時期がありましたね。そうなると、着物で行かざるを得ない。当然、着物の着方を学ぶ。
そのたびに美容院で着付けしてもらっていたら、ダメなんです。なぜなら、それだと着崩れしたときに直せないから。ただし、きれいでなくていい、と言われていました。きちんと自分でそれなりに着られていればいい、と。それがきちっとしたふるまいなんですよ。華美であったり、大げさである必要はないんです。