前々から望んでいたイギリス留学も決行した。実はイギリス留学の主な動機は英語学習だけではない。「イギリスでは、障害があることも“笑い”にしていたんです。ミスター・ビーンがいい例。障害者も社会の一員として笑いの対象になる。タブーじゃないんですよ」。

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 日本でも、体のコンプレックスを笑いに変えている人は多いが、障害者の姿はまだいない。「車イス」が笑えないのはなぜか?その疑問を解決したかった。

 1年間の留学後を終え、22歳で吉本興業の養成所であるNSCに入学、笑いを勉強した。同期には「ラッスンゴレライ」で有名な8.6秒バズーカなどがいた。

 日々、ネタ見せや公演の日々が続いたが、そう簡単に芽は出なかった。「1回のステージをこなしてもギャラは500円から1000円程度。コンビニやカラオケなどでバイトをしようと思っても車イスじゃ面接にも受からない。このまま諦めたくない、終わりたくないと思いつつ、生活費すら満足に稼げず悩む毎日でした」という。

ホストの世界に身を投じる
源氏名は「クララ」

 そんな時、お世話になっていた人からの「人と話す仕事は辞めないほうがいい。ホストはどう?手塚マキさんっていうホストを紹介する」という助言がきっかけとなり、寺田は期せずしてホストの世界に身を投じる。手塚は歌舞伎町で一大ホストクラブを展開する経営者だ。

「最初は断ったんです。ホストって女性をたぶらかすし、お酒をたくさん飲むイメージだったから。そんな人たちと一緒にされたくなかった」。しかし、「車イスを色眼鏡で見てほしくないと言っていた自分が、ホストという職業を色眼鏡で見ていることに気づいて。まずはその業界に入って自分の目で見てみないと、と思ったんです」(寺田)

 接客初日は「緊張して何も覚えていない」という。幸いホストクラブのホールには階段や段差がなく、一人でホール内を行き来することだけはできたが、お酒を飲むことができなかった。その上、体調管理のため終電で帰らなければならない。ホストとしては致命的ではあったが、周囲のサポートもあり「お酒が飲めない、終電で帰るホスト」として徐々に指名がとれるようになっていった。