まず、今回の件は「ホモ」に関することなので、ゲイコミュニティのA氏の意見だが、「今回の番組でゲイコミュニティも大騒ぎになっているが、意見としては二分している」ということだ。「批判している人もいるが、たいしたことじゃないと考える人も多い」という。また、ニューハーフコミュニティのB氏も、「周囲はあまり気にしていないと感じる」とのことだ。

 誤解がないように言っておくが、僕はなにもゲイコミュニティでも意見が二分しているからとか、ニューハーフたちが気にしてないから、今回の番組も批判にはあたらないと言っているわけではない。言いたいことは、フジテレビや番組を批判している人たちも、「当事者であるLGBTQの人たちの声をちゃんと聞いて批判しているのか」ということだ。このような、社会的正義を背景にした批判では、当事者でもない人間が「当事者はこう感じている」と決め込んで批判するケースも多い。実際、前述のB氏は「関係ない人がワイワイ騒いでいるイメージがある」と言う。むしろ、「マイノリティの人たちのことをもっと考えろ、もっと寄り添え」とか主張している人たちの言動が、当事者を困惑させている。それは本当に、当事者の声を聞いて寄り添っていることになるのだろうか。

 LGBTQに限らないが、マイノリティにはマジョリティには見えないことが見えていることも多い。今回の件に関しても、A氏はゲイならではの視点で、他の人間がほとんど言及していない鋭い指摘をしてくれた。

 まず1つめは、このコントにおける「設定の絶妙さ」に対する評価だ。保毛尾田保毛男は、保毛尾田財閥のご子息で豪邸に住むという設定。これは「良家の子息にゲイが多いという事実を突いていて、そこがおもしろいし、よく分かっている」とA氏は言う。ちなみに保毛男には、岸田今日子が演じるお姉さまというキャラクターがいるのだが、「この設定も絶妙であり、岸田今日子がすでに亡くなっているため、今回、お姉さまが復活できなかったことが惜しい」とも言う。このような設定の絶妙さに対する評価は、当事者だからこそわかることなのだと思う。

 そして2つめは、ゲイ差別に関連する重要な問題だ。今回の復活企画では、コーナーの冒頭で、ビートたけしが演じる鬼瓦権造が、石橋演じる保毛尾田保毛男を指差しながら、「小学校の時、こういう親父が公園で待ってた」「みんなで逃げたことあるんだ」と語るシーンがある。これはまるでゲイ=ペドフェリア(幼児性愛者)であるかのような発言で、「そのような印象を視聴者に与えかねない。これは大きな問題ではないか」とA氏は指摘する。

 もちろん、ゲイ=ペドフェリアでないのだが、番組を見た視聴者がそのような印象を持ってしまうとすれば、それは問題としてはより大きく深い。しかし、ネット上で番組を批判している人の中にこの問題に言及している人間は見たことがないし、フジテレビに抗議文を送った団体も、この問題にはまったく触れていない。つまり、分かってないのだ。

当事者の発言だからこそのリアリティ

 こうしたA氏とのやり取りを通じて感じたのは、やはり、当事者の発言だからこそのリアリティだ。そして、番組批判をしている人たちには、このリアリティを感じられない人も多い。そこに僕は、「本当に当事者の声を聞いて批判しているのか」という疑問を感じる。繰り返すが、ゲイコミュニティの中でも、この番組に対する反応は二分されているという。それはつまり、番組に対して怒ったり傷ついたりしている当事者もいるわけで、そのような当事者の声を背景に抗議したり批判することは間違いではない。