九州電力は経産相を「なめている」か?
玄海原発の運転再開に関する経産省主催の説明会で、九州電力および関連会社が、社員に対して運転再開に賛成のメールを送るようにEメールで広く連絡した、いわゆる「九電やらせ問題」が収束しない。
弁護士の郷原信郎氏を委員長とする第三者委員会は、古川康・佐賀県知事の発言が問題の発端であり、九電と自治体との癒着に問題の背景があるとする中間報告書を提出したが、九電の取締役会はこの見解を採らない報告書を再提出する構えを見せている。
また、この問題に関して引責辞任すると見られていた九州電力の真部利応社長についても、辞任は不要であるとの姿勢に転じた。
これに対して、枝野経産相は「不快感」(『日本経済新聞』10月24日朝刊)を示していると報じられている。
真部社長は、九電やらせ問題が広く取り上げられた7月に、一連の事実を認めると共に、この問題の責任を取って遠からず辞任する意向を明らかにしていた。
当時、この問題を厳しく批判していた海江田万里・前経産相も、最後まで経産相を辞任しなかったから、お2人の間では「あいこ」ということなのかも知れないが、地元の住民や、国民全体から見ると、わかりにくい経緯だ。
電力会社の社長の地位は、世間的に見て、どれくらい重いものなのだろうか。思うに、大臣は、所管する官庁・法律の権限が及ぶかぎりにおいて国全体に及ぶ権限を持つし、閣議にも出席するから、一時的な地位と名誉は明らかに高いが、実質的に政策を決める能力を持たないことが多く、官庁の人事も動かせないことがほとんどなので、会社でいうと、「任期の短い、雇われ社長」のような存在だ(下手をすると「広報担当役員」くらいの役割だ)。