「AIがすべての産業を変える」と言われるが、話が複雑そうでわかりにくい。しかも、いまさら聞けない空気がある!…というわけで、AIの分野で日本をはじめシンガポールやドイツでも活躍する若者、株式会社ABEJA・岡田陽介社長に、記者・夏目がAIのイロハを伺ってきました。未来は、見える人には見えていた──。
初期のAIは“ダメな奴“だった!?
期待と失望を繰り返したAIブーム
夏目 取材前にしっかりAIの基礎を勉強をしてきましたよ。Wikipediaで(笑)。
岡田 それはそれは(笑)。
夏目 1956年に米国で行われた「ダートマス会議」で「人工知能(=Artificial Intelligence、略してAI)という言葉が生まれ、研究が始まったんですよね。
岡田 ええ。第二次世界大戦前後に現在のコンピューターの原型にあたるものが発明され、計算など人間の知的作業の一部を機械が行うようになりました。そしてダートマス会議で「近い将来、人間と同程度の知的活動ができるコンピューターが生まれる」と予測され、米国、英国などで研究が始まったんです。
夏目 しかし、この段階では実現しなかった、と。
岡田 56年から60年代にかけ、第一次AIブームが起こりました。しかし「フレーム問題」を解決できずに終焉を迎えます。
夏目 「フレーム」って何ですか?
岡田 ナツメさんは元理系ですよね?コンピューターのプログラムで「IF(もしも)」という構文を使いませんでしたか?
夏目 ええ。「この数字が1の場合は38行目のプログラムを実行する…If X=1 goto38」のような文章の連続で成り立ってましたね。
岡田 この「IF」を使うと、単純なことはできます。例えば「もしもこの数字が0なら、この音を鳴らす」といったことです。でもこの程度では、AIとしては使えません。仮によくできたAIロボットがいて「ハンバーガーを買ってきて」という単純な命令を出されたとします。でも、外が雨だったら…?ロボットに「IF、雨の場合は」と教え込んでいなければ、ぐしょ濡れのハンバーガーが届くでしょう。
夏目 ロボットを壊したくなるでしょうね。
岡田 現実にロボットにお使いを頼む場合はさらに複雑で、雪だったら?道路が工事中だったら?お店が値上げしていたら?…と教えるべきことが次々増えていきます。まったく閉じられた空間で「ハンバーガーを買ってくる」だけならできるのです。しかし様々な事象への対応を考えると爆発的に「IF」で始まるプログラムが増えます。すると、当時のコンピューターの性能ではとても追いつけないとわかったんです。人間なら、たやすくできる「雨なら傘を差し、工事中なら遠回りする」という例外への対応が難しかったんですね。
夏目 まあでも、人間のなかにだって、ぐしょ濡れのハンバーガー的なものを持ってくるヤツ、たまにいませんか?
岡田 (笑)。いずれにせよ、この時点でAIは「迷路のゴールまで行く」とか、そんな閉じられた「フレーム」、つまりルールが決まっている枠組みの中でしか役に立たないね、となり、第一次ブームは去りました。