きっかけとして二つの出来事がありました。一つ目は、06年9月の「なんばマルイ」(大阪府大阪市)のオープンです。小売事業の不振が続くなかでの開業準備にあたり、従来の若者向けファッションを中心としたマルイを踏襲していくか、それとも今までにない施設作りに挑戦するか、小売事業の担当者に意見を求めました。すると全員一致でこれまでのマルイを踏襲して集大成となる施設をつくりたいという答えが返ってきました。そこで、その意向に沿って開業したところ、保守的な予算であったにもかかわらず、それを下回ってしまったのです。

 二つ目は、07年3月の「大宮マルイ」(埼玉県さいたま市)の増床です。売場面積を1割増やしたのですが、本来なら増加するはずの売り上げが1割減少してしまいました。この二つの出来事により、これまでの手法ではお客さまのニーズに対応できていないのだと全従業員が認識することになりました。

 当社では、「過去の成功体験のアイデンティティー化」と呼んでいますが、80年代後半に「ヤングの丸井」と呼ばれて支持を得た成功体験により、若者向けのファッションこそが自社の強みだと従業員が信じ込んでしまっていたのです。

──「共創」は従業員にすぐに浸透しましたか。

 従業員の意識改革は、苦節十年と言えるほど難しいものでした。

「有楽町マルイ」では、お客さまとの「店作り企画会議」を開催し、いただいた要望を施設作りに反映しました。「買物中に休憩できる場所がほしい」「トイレを綺麗にしてほしい」などの意見を取り入れて、施設内に休憩用のソファやベンチを設置し、トイレにはパウダールームを併設しました。

 しかし、施設作りの核となる要素である、テナントのカテゴリーバランスや、品揃えなどについては、お客さまの意見を十分に反映することができませんでした。われわれにとってそれは事業の中核となる部分であり、どこかプライドが邪魔をしていたのです。

 そのようななか、会社全体の意識を変えてくれたのが、以前からお客さまのニーズを最優先に考えるべきだとの問題意識を持っていた従業員の存在です。新入社員の存在も大きいものでした。「共創」を経営理念に掲げ始めたことで、そこに共感し、同じ意志を持つ人材が入社してくれるようになったのです。

 大きなきっかけとなったのが、10年のプライベートブランド(PB)「ラクチンきれいシューズ」のヒットです。PB商品の改良においても「共創」を取り入れて座談会を実施し、お客さまに試着していただきながら、靴の木型から作り直したところ、改良前の7倍の売り上げを達成しました。16年3月期には、同シリーズ全体の年間売上高は47億円に達し、販売累計は300万足を超えています。