旬材社長 西川益通
Photo by Hiroki Kondo/REAL

 スーパーの売り場や外食店など一般の消費者が通常目にする魚は、じつは国内で水揚げされた漁獲量の半分強でしかない。

 なぜなら、同じサイズのものが揃わなかったり、漁獲量が少なかったりして一定のロットに達しない魚は、港の周辺で消費されるか、捨てられてしまうことなどが多いからだ。しかし、質が悪いのかといえば決してそうではない。

 そんな“もったいない”魚たちにフォーカスし、日本の漁業を守るべく、産地から全国の小売り店や外食店への直接販売・直接発送をサポートするのが旬材だ。

 漁港の水揚げ状況を動画で見ながら魚をリアルタイムで買い付けできる産地直送システム、SCSSなどを開発し、インターネット上に新たな魚の取引所をつくり出した。

 旬材のシステムを使えば、捕った漁師の顔が見える魚を、サイズや種類などニーズに合わせて1匹単位で注文できる。しかも、早ければ朝水揚げされた魚がその日のうちに届くという優れもの。捨てるしかなかった魚が販売できるのだから、漁師たちも大喜びだ。

 そんな旬材を立ち上げた西川益通は、異色の経歴の持ち主である。

 中学から大学までは、学業の傍ら有名料亭で修業を積んでいた。高校を卒業するとき両親は店まで用意してくれたが、大学進学への道を選択。就職活動の時期になると、当時いちばん難しいとされた日本航空を受けて合格し、男性客室乗務員として入社した。

 しかし、入社数年後に新しく造船に乗り出したヤンマーディーゼル(現ヤンマー)が社員を募集していることを新聞で発見。大学が港町の神戸にあって船を見る機会が多く、船に憧れがあった西川は26歳で転職した。

大勢が見守る進水式で船が沈んだことも!
漁師たちと勉強を重ねる

 とはいえ西川は、高校は商業高校、大学も経済学部と、造船は完全な門外漢。立ち上げたばかりのヤンマーにもノウハウは蓄積されていなかった。

 そこで技術を教えてくれたのが漁師たちだった。駆け出しの頃、装備を万全にしたり内装に大理石を使ったりするなど、顧客のこだわりをすべて聞いて造った船が、重量オーバーにより500人が見守る盛大な進水式で沈んだこともある。そんな失敗も、漁師たちとともに勉強を重ねて乗り越えたという。

 35歳を前にして大分県の事業所を任されるようになった頃は、1工場だけで年間1万2000隻もの船を造っていた。1週間、数万人の漁師を宴会・宿泊付きの展示会に無料で招待するという破天荒なことをやってのけ、一挙に1年分の生産受注を物にしたこともあった。

 造船に携わった25年間で西川が手がけた船は、国内向けだけでも13万隻に上る。

 人生の転機が訪れたのは、その後エネルギーシステムの事業担当に異動してからだ。西川が担当する事業はエコなどに関連していたため時代の流れに乗って絶好調だったのだが、役員会に出てみると、ヤンマー全体の業績は必ずしもよくないことがわかったのだ。ピーク時に130万人いた漁師が20万人にまで減り、高齢化も進むなど、第1次産業の低迷が原因だった。