Jリーグに異色の経歴を持つナンバー3が誕生した。3月27日の社員総会及び臨時理事会で、J2ファジアーノ岡山の木村正明・前代表取締役(49)が実務面のトップとなる専務理事へ正式に就任した。東京大学法学部から、1993年に世界最大級の金融グループ傘下のゴールドマン・サックス証券へ入社。激しい競争を勝ち抜き、35歳だった2003年には執行役員(マネージング・ダイレクター)に就くエリート街道を歩みながら、2006年に生まれ故郷に誕生したファジアーノの代表取締役に転身。地域リーグからJ1を狙える位置にまでチームを成長させた手腕を村井満チェアマン(58)に見込まれた木村氏。異例にも映るヘッドハンティングでJリーグに迎え入れられた敏腕経営者の素顔を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)
村井チェアマンからの「直球」
人生を変えかねない大きな決断を迫られた時に、例えば「明日の正午までにお返事します」といった具合に、可能な限り意思を早く伝えることを、木村正明は身上としてきた。
自らが受けた驚きの大きさはイコール、先方から寄せられる期待の大きさでもある。ゆえに時間を要することは礼を欠くと言い聞かせてきたが、今年の2月17日だけは違ったと振り返る。
「イエスにしてもノーにしても、すぐに答えを出さなくてはいけないと思い、最初は翌日のお昼までと申し上げたんですけど。もう1週間だけ待っていただけますでしょうか、とお願いした次第です」
返答期限に定めた正午が近づいてきても、とてもじゃないが、決断を下せる状況には程遠かった。恐縮しながら電話越しに延長を申し出た相手は、Jリーグの村井満チェアマンだった。
話は2日前の2月15日にさかのぼる。Jリーグに携わる関係者が一堂に会する開幕前の恒例イベント、キックオフカンファレンスが東京・港区内のホテルで盛大に催された日だった。
「明日、30分だけ早く来られませんか」
村井チェアマンから突然こう切り出された。J3までを含めた、54を数えるJクラブの代表取締役はそのまま都内に宿泊し、翌16日に文京区内のJFAハウスで行われる実行委員会に出席していた。
そこへ30分早く来てほしいと言われた。要は2人だけで話がしたい、ということを意味している。村井チェアマンの真意は計り知れなかったが、待っていたのはまさに「青天の霹靂」だった。
「直球で来られたので、それでちょっと私が凍ってしまったんですけど。自分はJ1の未経験クラブでもあったので」
空席となって久しいJリーグ内のナンバー3のポジションで、実務面のトップとなる専務理事に就いてほしいと要請した村井チェアマンも、当時の状況を鮮明に覚えている。