どうせ儲からないなら、いい物を売ってやる

 ただ、100円均一を始めたものの、最初からうまくいったわけではない。70年代というのはまだ高度成長期。73年には第一次石油危機が起き、急激な物価上昇が始まった。人件費が上がり、運賃が上がり、つまりは仕入れ値が上がり、私の商売を直撃した。

 なにしろ100円均一ということは売価の上限が決まっているのである。原価が上がればそれだけ利益が削られる。100円均一と決めた以上、値上げはできない。なんとも不自由な商売を始めたものである。

 しかし、ここでまた開き直ったのがよかったのかもしれない。「どうせ儲からんのなら、利益度外視でとことんまで良い物を売ってやる」と考えたのだ。そもそもお客さまに「安物買いの銭失い」と嫌味を言われるのが悔しかった。逆に「これが100円!?」と驚いてもらえる商品を売りたかったのである。

 次第に移動型100円均一の矢野商店は評判を呼ぶ存在になった。当時、100円均一業者は他にも登場していたが、彼らは原価20~30円の品も100円で売っていた。それに対し、うちは極端な話、仕入れ値99円・粗利1円でも売っていたのだ。スーパーの店頭などに呼ばれると、商品の良さからどこよりもお客さまを集める人気店になった。

 もっとも銀行によく言われたのは、「100円で経済活動なんてできないよ、矢野さん」。100円玉ばっかり集めても大した規模にはならないだろうと言うのだ。

「でも、電電公社(現NTT)は10円じゃないですか」と反論してみるのだが、「公衆電話は全国に数え切れないほどあるし、万人が使うから溜まったらすごい額なんだ。何より仕入れがない。その点、矢野さんの商売は、100円以内で仕入れて、場所代まで払って、その利益から人件費やら家賃やら出すとなると、そりゃ難しいよ」と。

 しかも今と違ってインフレの時代だ。100円での経済活動で生き残っていくという将来図を描くのは正直、考えられなかった。結局、40年間、経営計画書なるものを作らないまま今日まで来た。作らないのではなく、作れなかったのだ。売り上げというのはお客さまが作るものであって、われわれが勝手に決められるものではない。

 なまじ経営計画なんかを作ると、それを達成するために無理をすることになる。結果的にお客さまからソッポを向かれる可能性がある。その思いは、まだ規模が小さかった当時から今に至るまで変わっていない。