54年組には、実はもう1人次官候補がいて、当初、「4人衆」などと呼ばれていた。結果、その1人、桑原茂裕氏は次官を逃すのだが、それでも日本銀行理事となっている。

「極めて同期愛の強い期で、頻繁に会合を重ねるほど仲がよかった一方で、皆に花を持たせようとしたがために、その後の期のモチベーションを下げ、人材が薄くなる弊害が生まれてしまったと言われています」と、幹部の1人は解説する。

小沢一郎氏が発表した「改造計画」の
経済政策ブレーンだった香川元次官

 次官となった3人は、いずれも早くから将来を嘱望されており、中でも香川は、官僚としての優秀さのバロメーターでもある政治家や、メディアとの付き合いに長けていたことから、今なお、財務省では伝説の存在だ。

「小料理屋のようなお店が好きで、赤坂や神楽坂の路地裏の店に行っては、メディアの人間相手に消費増税の必要性について、丹念に説明する姿が目撃されていました」と、後輩官僚は明かす。

 政治家とのパイプは、与野党問わずに若い頃から広かった香川が、一躍その名を霞が関にとどろかせたのは、小沢一郎自由党共同代表がかつて発表した名著「日本改造計画」の経済政策部分でブレーンを務めたことだった。

 ただ、香川の人脈はそれだけにとどまらなかった。2009年に旧民主党による政権交代を見越していたのか、国会図書館の会議室などで、野田佳彦・元総理を中心とした旧民主党議員との勉強会を開いていた。当時は、丹呉泰健・元次官が小泉純一郎・元総理の懐刀と呼ばれ、官邸で奉職していた時代。それだけに、旧民主党議員と付き合うのは極めて珍しいことだった。野田元総理と香川氏をつないだのは、野田元総理の後見役だった藤井裕久・元財務大臣だと言われている。