クリントン国務長官の訪問を機に
激変するミャンマーのいま
国際社会に対する米国の影響力はリーマンショック以後、加速度的に低下してきた。だが腐っても鯛というべきか。昨年12月のヒラリー・クリントン国務長官の訪問をきっかけに、過去20年間欧米からの経済制裁を受けてきたミャンマーの国情は一変した。
国際社会における中国の存在が巨大になるなか、中国封じ込めに躍起になる米国と、中国への過大な経済依存から抜け出したいミャンマーとの利害が一致した。しかしその背景には、2011年にミャンマー軍事政権が突如として政治改革に舵を切った事実があった。
もちろん多くの日本人にとっては、ミャンマーの軍事政権による自主的な政治改革など、にわかに信じられる話ではない。日本でミャンマーといえば、カダフィーのリビアとなんらかわらぬ軍事独裁国家としか描かれてこなかったからだ。軍事政権はやること成すことすべてが悪の所行で、逆にアウン・サン・スー・チー女史は、思惑一杯の取り巻きも含めてすべてが善として扱われてきた。
たしかに20年前の総選挙で、アウン・サン・スー・チー率いるNDLが大勝した選挙を破棄し、彼女を軟禁し、その政治活動を封殺してきた軍事政権は民主主義の敵以外の何者でもなかった。また日本人にとっては、07年に取材中の日本人ジャーナリストが治安部隊に射殺された事件も脳裏を離れない。多くの日本人がミャンマーを悪逆非道の軍事政権とみなし、忌み嫌ってきたのも仕方のないことだった。
だが、事実としてミャンマーの政治状況に変化は起きている。
東南アジア事情に詳しい米国外交評議会のジョシュア・クランジックによれば、政治犯釈放や4月の選挙(アウン・サン・スー・チーが当選を果たした補欠選挙)実施など、その激変ぶりに「ミャンマー国内はもちろん米国政府内でも戸惑いが広がっている」という。
「この急激な変化は(ミャンマー)国内の政治活動家の多くを驚かせている、アメリカの政府高官たちでさえ、わずか、1年前は、ミャンマーの将軍たちが自発的に権力を手放すことはあり得ないと見ていた」(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』2012年NO.3)