春の選抜と違って夏の選手権大会は予選から本大会まですべて一発勝負!ところが昔は一時期、敗者復活制度があったが…(写真はイメージです)Photo:PIXTA

 近年、地方大会の結果まで全国紙に掲載され、珍しいことが起きるとニュースになったり、ネットやツイッターといったSNS等で拡散して騒ぎが大きくなることも少なくない。しかし、高校野球(中等学校野球[*下記参照])がまだそれほどメジャーなスポーツではなかった時代には、今では信じられないような不思議な事件が起きている。今回は、どんな事件が起きたのかについていくつか紹介したいと思う。

敗者復活で優勝した
唯一の学校は?

 春の選抜と違って夏の選手権大会は予選から本大会まですべて一発勝負のトーナメント形式で行われている。どんなに実力あるチームでも1回負けてしまえば、その時点で終わり。全国制覇を目指していた学校が予選で無名の学校に敗れてしまうことも多い。ところが、草創期には全国大会に敗者復活戦があった。

 大正5年(1916年)の第2回大会には12校が参加したが、12校ではトーナメント表が作りづらいため、敗者復活制度を採用した。初戦で敗れた福岡の中学明善(現・明善高)と鳥取中学(現・鳥取西高)が再度戦い、勝った鳥取中学を準決勝に進出させたのである。鳥取中学は準決勝で大阪の市岡中学(現・市岡高)に敗れている。

 翌大正6年(1917年)の大会では敗者復活の対象を増やして初戦負けした4校でトーナメントを行った。これを制した愛知一中(現・旭丘高)は、準決勝で島根の杵築中学(現・大社高)を1点差で破り決勝戦に進んだ。

*中等学校野球(正式名:全国中等学校優勝野球大会)は大正4(1915)年の第1回から昭和22(1947)年の第29回まで、以降は全国高等学校野球選手権大会と呼んでいる。