外資規制を緩和する――。習近平国家主席がそう宣言した背景には、中国の製造業が外資に頼らずともやっていけるという、製造強国世界一としての確固たる自信があると見られています。つまり、外資規制緩和は、中国の勝利宣言でもあるのです。『週刊ダイヤモンド9月1号』の第1特集は、「自動車・電機・IT 40年で完成した日中逆転の全経緯」です。1978年に「改革開放」を掲げ、日中平和友好条約が調印されてから40年間、日本の製造業を学ぶところから始めた中国は、あっという間に日本を逆転してしまいました。特集ではその過程を振り返り、日本の製造業が進むべき道はどこにあるのかを考えました。今回はその特集の中から、外資規制を緩和した背景を考察した記事を特別に抜粋してお届けします!
中国・深圳では、BYD製のEVタクシーが多く見られます。
中国・深センの街中で多く見られる、BYD製のEVタクシー

 改革開放から2年後の1980年。鄧小平氏は、深センを中国初となる「経済特区」として選んだ。人口3万人ほどの鄙びた漁村だった深センが、中国へ市場経済を導入する起点となったのだ。

 日系企業として初めて深センの蛇口に進出したのは三洋電機だ。工場でのそろいの制服や効率的な労務管理といった“日本式”が中国企業に根付くきっかけとなった。外資のノウハウ、技術、資金を吸収しながら、深センは独自の産業発展を遂げていった。

 中国の中でも外資の導入に寛容だった深セン。今や、アジアを代表するイノベーション都市として知られる。電気自動車(EV)のBYD、巨大EMS(受託生産サービス)の鴻海精密工業(台湾)、通信のファーウェイ、ITサービスのテンセント。ドローンのDJI──。超ハイテク企業ばかりが育成された。

 スタートアップ企業の“乱造エリア”ともいえる場所もある。深セン市南山区にある「深セン湾創業広場」には、約20棟の高層ビルがそびえ立ち、スタートアップ企業が約300社入居している。ベンチャーキャピタル、インベストメントバンク、インキュベーション企業などが物理的に同じ場所に集結しているので、ベンチャーの芽が開花する機会はどうしても増える。毎日、エリア内にあるカフェやミーティングスペースでは、ベンチャー経営者と投資家による商談の風景が見られる。