改革開放から2年後の1980年。鄧小平氏は、深センを中国初となる「経済特区」として選んだ。人口3万人ほどの鄙びた漁村だった深センが、中国へ市場経済を導入する起点となったのだ。
日系企業として初めて深センの蛇口に進出したのは三洋電機だ。工場でのそろいの制服や効率的な労務管理といった“日本式”が中国企業に根付くきっかけとなった。外資のノウハウ、技術、資金を吸収しながら、深センは独自の産業発展を遂げていった。
中国の中でも外資の導入に寛容だった深セン。今や、アジアを代表するイノベーション都市として知られる。電気自動車(EV)のBYD、巨大EMS(受託生産サービス)の鴻海精密工業(台湾)、通信のファーウェイ、ITサービスのテンセント。ドローンのDJI──。超ハイテク企業ばかりが育成された。
スタートアップ企業の“乱造エリア”ともいえる場所もある。深セン市南山区にある「深セン湾創業広場」には、約20棟の高層ビルがそびえ立ち、スタートアップ企業が約300社入居している。ベンチャーキャピタル、インベストメントバンク、インキュベーション企業などが物理的に同じ場所に集結しているので、ベンチャーの芽が開花する機会はどうしても増える。毎日、エリア内にあるカフェやミーティングスペースでは、ベンチャー経営者と投資家による商談の風景が見られる。