何も知らなかった。
カツラを初めて買うとき、私はカツラについてほとんど何も知らなかった……。
※
まもなく28歳になる春の休日。朝刊を開くと、カツラの宣伝が目に飛び込んできた。
(カツラじゃなくて、育毛診断か……)
私の心がいつになく揺れた。普段から見慣れた広告に、その日は激しく背中を押された。
「電話するよ」
私はまだパジャマ姿の妻K子にきっぱりと言った。新婚2年目の春だ。
「ホントにカツラにするの?」
「違うよ、まずは育毛診断だよ。いきなりカツラにするわけじゃない」
再考を促す家内の眼差しに背を向けて、私は受話器を取った。
いよいよ忍び寄るハゲの恐怖は、放置できない限界に近づいていた。
日常、何気なく鏡を見ると、頭のてっぺん、明らかに地肌が透けて見える! その度合いが確実に深刻化していた。K子に確かめると、1年前には「気にしすぎだよ」と答えが返ってきた。それが、なんとも言えない表情で髪をみつめるだけに変わっていた。
「小林くん、けっこう来てるねえ」
仕事先で、言われたくもない相手から頭を覗かれる経験もするようになった。
(わかるんだ、明らかにボクの頭、薄くなっているのが他人にもわかるんだ)
そうなったら居ても立ってもいられない。