◇売却、業績悪化を乗り越え、商品の原点へ

 バブル崩壊後、セゾングループも銀行団からの圧力によって巨額負債への対応を迫られた。挙句には、西友が、ファミリーマートと良品計画の株式売却にまで追い込まれた。セゾングループの「突然死」は避けられたものの、堤に対し、社内外で「セゾングループを経営難に陥れたオーナー経営者」という印象が強まっていった。

 2000年度には、良品計画の業績が急速に悪化。SPA(製造小売業)の代表格として脚光を浴びていたのが一転、在庫処理が経営課題となった。そんな状況からV字回復を果たしたのが、社長を託された松井忠三である。

 2008年に後を継いだ金井政明は、こんな課題意識をもっていた。無印良品の没落のリスクは商品開発の軸がぶれることにある。その原点に立ち返り、本質を継承していかなければならない――。「くらしの良品研究所」の設立も、それを体現するためであった。

 2017年度、無印良品の海外店舗は457店にまで増え、国内の店舗数を超えた。ファーストリテイリングに続くレベルのグローバル小売業の地位を築いたといっていい。

「反体制」を掲げて時代の大勢に抗う。誕生から40年近くが経っても、無印良品にはそんな堤個人の思想が息づいている。欧州の高級ブランドを日本で広めながらも、「わけあって、安い」にこだわる。そんな堤という人物の「両義性」を内包した事業だからこそ、無印良品は人々を魅了するのかもしれない。

◆西武百貨店
◇弱小百貨店からのスタート

 堤の父親・堤康次郎は、西武グループの創始者で衆議院議長でもあった。父の命令で堤清二が西武百貨店に入社したのは1954年、27歳のときだった。当時はラーメンデパートと揶揄された新興の赤字百貨店。老舗の三越や松坂屋、高島屋などはもちろんのこと、阪急百貨店などの私鉄系ターミナル百貨店と比べても、西武百貨店は明らかに見劣りしていた。そんな恵まれない事業を足場に、堤は反骨精神と創造性を養い、遺憾なく発揮していった。

 堤が池袋本店の店長に就いて最初に行った改革は、父の反対を押し切って大卒採用を進めたことだった。人材を囲い込むために、若手社員を自宅に招いて勉強会を開き、経営の近代化を進めた。

 そんなさなか、父の圧力によりロサンゼルスに出店。これが見事に失敗し、西武百貨店は致命的な重荷を背負った。同時期に父・康次郎が急逝。西武グループの本業である鉄道や不動産は、異母弟の義明が継いだ。清二が手にしたのは西武百貨店だけだった。