物書きの仕事も同じだ。編集者から「とにかく、ベリーグッドな原稿をお願いします!」と依頼がきたら、筆者は、そのメールを見なかったことにする。この連載にも、「宮崎さんが日常生活のなかで覚えた違和感について2000~3000字くらいでコラムを書いてください」という最低限の“目的地”があるからこそ、成立しているのである。

 しかし、美容師や物書きの世界では、詳細な道順を指定されることは少ない(物書きの世界では必ずしもそうではないのだが、話が複雑にならないため初めから接続詞や「てにをは」まで指定してくる編集者はいない、程度の認識で読み進めてほしい)。

 たとえば、美容師が髪をどこから切り始めるか、どの部分は何ミリ切るかといった細かい部分は「お任せ」である。なぜなら美容師はプロであり、髪については客である我々より技術もセンスも高いからだ。もちろん客として目的地(意向)は伝えるが、あとのことは美容師のセンスによって、どのような髪型になり、どのように自分の見た目のイメージが変わるのか。それが楽しみでお金を払っている。少なくとも筆者はそうだ。

 つまり、タクシーも筆者にとって同じなのである。別に「どこでもいい」と無茶振りしているわけではなく、目的地はきちんと伝えているんだから、道順は運転手さんの知識とセンスに任せたい。仮に、筆者が道に詳しかったとする。しかし、自分で選んだ結果、余計に混雑に巻き込まれるなんてこともあるだろう。ならば、運転手さんの経験値に任せたほうがいい。結果的に混雑に巻き込まれるなど、それが正しい判断じゃなかったにしても、「プロの運転手さんが選んでそうだったんだから仕方ない」と諦めがつくと思うのだがいかがだろうか。

 道順を聞かれることは、その責任を自分にかぶせられているようでモヤモヤするのである。