ようやく、高校生の投球数制限について本格的に議論されることになった。日本高等学校野球連盟は20日、大阪市で理事会を開き、4月に「投手の障害予防に関する有識者会議」を発足させることを決めた。きっかけは新潟県高野連が昨年12月、今年の春季新潟大会で独自に投球数制限の導入を決めたことだった。理事会では有識者会議発足とともに「勝敗に影響を及ぼす規則は全国で足並みをそろえるべきだ」「現状では部員が20人以下の学校が全体の4分の1を占め、部員数が少ないチームが不利になる」として、新潟県高野連に再考を促し、高野連全体として検討していくよう呼び掛ける構えだ。(事件ジャーナリスト 戸田一法)
新潟が独自で初の試み
昨年12月22日、日本高野連の幹部らは、一様に困惑の表情を浮かべたという。
新潟県高野連が独自に投手の故障予防や選手の出場機会を増やすことなどを目的に、投球数が100球に達した投手はそれ以降のイニングは投球できない制度導入を決めたことが明らかになったためだ。
高校野球を巡ってはこれまで、投手の投げ過ぎによる肩や肘の酷使が問題視されてきた。日本高野連も手をこまねいて何もしなかったわけではない。高校野球が始まった当初は延長打ち切りの規定がなく、1933(昭和8)年の中京商対明石中学の延長25回というすさまじい死闘もあった。
1958(昭和33)年の第40回夏の甲子園から延長18回打ち切り、再試合の規定が導入された。これは同年の春季四国大会で、徳島商の板東英二投手が対高知商戦で延長16回、翌日の対高松商戦で延長25回をいずれも1人で完投。このことが契機となって日本高野連で議論され、規定が設定された。
さらに2000年の第72回選抜大会からは、延長15回に短縮された。これは1998年の第80回夏の甲子園準々決勝第1試合で、対PL学園戦で横浜高校の松坂大輔投手が、延長17回で250球を投げたことがきっかけだったとされる。
また2013年夏の甲子園からは準々決勝翌日の休養日を導入。今年の夏の甲子園では休養日を現行の1日から2日に増やし、準決勝翌日に設ける。