第100回を迎える「夏の甲子園」
今夏、甲子園球場で開催される「全国高等学校野球選手権大会」は第100回を迎える

今夏、「全国高等学校野球選手権大会」は第100回を迎えた。甲子園球場で開催される高校野球の全国大会は春と夏に開催され、それぞれ「春の甲子園」「夏の甲子園」と呼ばれる。春に開催されるのは正式名称が「選抜高等学校野球大会」で2018年大会は第90回。第100回を迎えるのは夏の甲子園だ。長い歴史の中で繰り広げられてきた名勝負、記憶に残る名選手を振り返る。(ジャーナリスト 戸田一法)

甲子園ではなかった第1回

 高校野球ファンの間では常識だが、夏の大会第1回は1915年「全国中等学校優勝野球大会」の名称で10校が参加。甲子園球場ではなく、大阪の豊中グラウンドで開催された。決勝戦は京都二中(現・鳥羽)と秋田中(現・秋田)の対決となり、延長13回の末、京都二中が栄冠を勝ち取った。

 甲子園が会場になったのは、第10回大会の1924年から。例外は第28回大会(1946年)で甲子園がGHQに接収されていたため、阪急西宮球場で開催。出場校を増やした第40回記念大会(1958年)と第45回記念大会(1963年)は甲子園球場と西宮球場を併用したが、甲子園で試合ができなかった高校から「不公平」と批判が上がり、これ以降は甲子園で行われるようになった。

 高校球児や関係者にとって、春と夏の甲子園大会はただの全国大会ではなく、甲子園はやはり「聖地」であり、「憧れ」なのだ。

語り継がれる名勝負

 第19回大会(1933年)の準決勝は、東海代表の中京商(愛知、現・中京大付属中京)対兵庫県代表の県立明石中(現・明石)が対戦。24回まで両チームの投手が1点も与えない死闘となった。25回裏、中京商が1点を奪い、1-0でサヨナラ勝ちしたが、継ぎ足されたスコアボードにずらりと「0」が並ぶモノクロ写真をご覧になったことがある方も多いと思う。延長25回は、県予選、春・夏の大会を通じて高校野球史上最長記録で、おそらく今後も破られることはないだろう。