2008年、24歳のときに、ある日突然乳がんを宣告された鈴木美穂さん。日本テレビに入社して3年目、記者として充実した日々を送っている最中だった。3週間後、右乳房を全切除。強い喪失感、副作用に苦しんだ抗がん剤治療などを経て8ヵ月後に職場復帰した。そしてこのほど、今に至るまでの約10年間の記録を、その時々の気づき、思い、学びとともに『もしすべてのことに意味があるなら~がんがわたしに教えてくれたこと』として1冊にまとめ、2月28日に出版。今回は、恋愛に臆病になっていた美穂さんが、どうやって最愛の夫と出会うことができたのか、伺った。(構成/伊藤理子 撮影/平本 泰淳)

がんがコンプレックスで恋愛に臆病に。そんな彼女が、どうやって最愛の夫に出会えたのか

がんを患った後、しばらくは恋愛に対して恋愛に対して
臆病になっていました

──著書の中では、ご自身の恋愛についても触れられていますね。がんを患った後、しばらくは恋愛に対してとても消極的だったとか。

 2016年3月に今の夫と出会い、結婚しましたが、それまでは長らく恋愛に対して臆病になっていました。

 職場復帰してしばらく経ち、体調が安定してきても、「今の私に恋愛はとても無理だ」と思っていました。右乳房があったところには大きな手術跡があるし、ホルモン療法の影響で生理は止まっているし、なによりまだ再発転移の恐れがある。誰かと恋に落ちたとしても、もし再発してしまったら相手を悲しませてしまうから申し訳ない…という気持ちが強かったのです。

 ようやく「勇気を出して、ちゃんと恋愛市場に出ていこう」という気持ちになれたのは、30歳が目前に迫った頃。手術から5年以上が経ち、再発転移への恐怖も和らぎ、体力に自信もついてきたあたりです。周りの友人が続々と結婚し、そろそろ自分も前を向いて頑張ってみようと思って、仕事の合間を縫って合コンに参加したり飲み会に顔を出したりするようになりました。

──出会いの機会を増やしたのですね。その結果はいかがでしたか?

 出会いは増えましたが、残念ながら傷ついてしまうことのほうが多かったです。

 いろいろな人と出会う中で、久々にいいなと思える男性が現れました。そして、相手も少なからず好意を持ってくれているのがわかりました。この人ならば、がんを経験したことも含め私のことを理解してくれるのではないか。そこで、相手が告白してくれたタイミングで「実は私、乳がんを経験していて」と意を決して打ち明けたのですが…「話してくれてありがとう」と言ってくれたものの、次の日からぱたっと連絡が来なくなりました。

 その後も何度か出会いがありましたが、がんを経験したことを伝えると「大変だったね。でも一緒に向き合う自信がない」「俺はいいけれど、うちの親が受け入れられないと思う」などと言われたりしました。それまで毎日のように連絡が来ていたのに、突然音信不通になった人もいました。

 ただ…確かにショックではありましたが、相手の立場に立つと「仕方ないかな」と思える部分もありました。いきなり乳がんを経験したと打ち明けられても、みんなどんな顔をしていいかわからなかっただろうと思います。私にどのように接していいかわからず、音信不通になってしまったのかもしれません。それに、恋愛の先の結婚、出産…と考えると、大きな病気を経験した人よりも健康な人のほうがいいだろうし。

 それに、私の打ち明け方にも問題があったかもしれません。今思えば、がんになったことに大きなコンプレックスを感じていたから、打ち明けるときにもすごく重たい言い方になっていたのだと思うのです。だから、相手も必要以上に重く受け止め、辛い気持ちになってしまったのではないかと。
がんになっても、すぐに幸せな恋愛をして結婚している人はたくさんいます。要は本人の捉え方次第であって、私の場合は、自分の辛い気持ちを相手に押し付けすぎてしまったのかもしれません。

 これらの経験から、当時の私は「もう色恋は無理かも。恋愛や結婚以外の場所に幸せを求めよう」と決意。その後、英国マギーズ(がん患者や家族のための無料相談支援施設)の存在を知り、日本でもマギーズのような施設を作りたい!と奔走することに。仕事以外の、同世代の友人が恋愛などのプライベートに割いているであろう時間を、すべて「マギーズ東京」の設立準備に充てることができました。

 女性として最も恋愛盛りの20代半ばからアラサーにかけて「恋愛難民状態」になってしまいましたが、もし大恋愛をしていたら、ここまでマギーズにアクセル全開で臨めなかったかも…。今となっては、このときはこれでよかったのかもしれません。