ケウン・スン・キム(Keum Sum Kim)さんはシカゴで息を引き取る際、北朝鮮の海岸で彼女の最も幼い2人の子供と生き別れになった日のことを語った。それは朝鮮戦争(1950〜53年)の最初の年だった。彼女の夫と年長の2人の息子を含む村の男たちは、既に出発していた。後に残されたのは、5人の子供の母親であるキムさんと、最も若い3人の子供たちだった。そして、戦火は彼女の村にまで達した。彼女は食料と衣料をひとまとめにして、浜辺へと向かった。安全な南の地へとボートで逃れることができるかもしれないと考えたのだ。ボートにたどり着くためには、7歳の男の子と5歳の女の子を抱えて、冷たい波しぶきの中を進まなければならない。彼女は2人に、荷物を先に舟に運び入れる間待っているよう指示した。そして彼女は、戻ってくるからね、と言った。