その楠木さんの議論を読んだとき、最初はとても幼稚に思えました。経営者はそうした個人的な感情に流されず、より精緻なビジネスモデルやマーケット予測に基づいて経営判断をするべきだと私は考えていたからです。

 しかし、よく考えてみれば、新しい企業が画期的な事業プランをひっさげて登場し、経済のプレーヤーや勢いがあるマーケットが時々刻々と変わる時代に、そうした「ビジネスモデル」や「予測」はかつての意味を失っているのかもしれません。それに、そもそもビジネスモデルや予測の熟知は、経営者であれば誰もがやっていることでしょう。

 そうすると、本当の意味で他社と差別化できるのは、経営トップの理屈抜きの情熱や、厳しい人生の様々な修羅場を通して鍛え上げた「好き」という感情なのではないでしょうか。「好き」という感情ほど尊く、深いものはないのではないか。そう思うようになりました。

「好き」の感情を鍛えて自らの判断基準を持つ

 『「好き嫌い」と経営』ではビジネススクールの授業に使われている、興味深いケーススタディが紹介されています。

 投資銀行に勤めている女性が主人公です。彼女のルームメートは別の金融機関で働いているのですが、ある日帰宅して「うちの銀行が、あるビジネスから撤退しそうだ」という内部情報を主人公の女性に打ち明けます。「これは他の人に言わないでね」と注意もつけて。

 主人公の女性の投資銀行にとって、これはかなり価値ある情報です。ルームメートの金融機関がそのビジネスから撤退すれば業界全体に影響があります。そこで、撤退話を上司に言うかどうか迷います。

 伝えれば、間違いなく勤めている投資銀行は経済的損失を避けられる。一方、そうするとルームメートが情報源であるとバレてしまい、友人が処分の対象になるかもしれない。友人を取るか、仕事を取るか。「正しいこと」と「正しいこと」はいつもぶつかり合います。こうした選択肢において、客観的な基準で選択することはできません。自分の価値観や生き方にもとづいて決断しないといけない、ということを示した例です。

 一見、『好き』をはじめ自分の価値観で経営判断をしたり、決断をしたり、ましてや「人を選ぶ」ということはどこか不遜な態度のようにも思えます。ただ、「サンドイッチの具」ではないですが、好きに基づく選択は、ある意味もっと日常的に考えるべきものだし、日々鍛えることができます。

 サンドイッチの店をたくさん知っていて、日頃から自分の好みと向き合っている人ほど具の選択する力が磨かれます。卵サンドが何よりも好きな友人が私にはいますが、彼女は卵の種類から一緒にあえるマヨネーズの甘さまでをも判断基準にしてサンドイッチを選んでいます。そこまで日々考え抜いているからこそ「卵サンドが好き」ということが、自信をもって言えるのでしょう。

 いろいろ理屈を付けるより、「好き」の感情を鍛えることで判断基準をもった方がいいと私は考えています。