インタースペース代表取締役 河端伸一郎(撮影:福本敏雄) |
1999年、秋。河端伸一郎は父と一対一で向き合っていた。
「資金を援助しないと言ったらどうするんだ」
「歩合制の営業でもして、死ぬ気で稼ぐ」
息子の真剣な姿勢に、父は無言で1000万円出資した。このとき河端は29歳。インタースペース創業へ大きく動き出した瞬間だった。
「そのときは親子という感じではなかった。投資家と事業家として話をしていた」と河端は当時を振り返る。
河端の父は京都きもの友禅を創業し、店頭公開、東証一部上場を果たした事業家だ。河端は長男だが、事業を継ぐことはまったく考えていなかった。
自立心旺盛な河端は「親の力を当てにすることは好きじゃなかった」と言う。
だから「正直、行きたくなかったが、出資を仰ぐためにしょうがなく頭を下げに行った」。
当時は父に頼らざるをえない状況だった。生活するのがやっとで、事業を起こすカネなどまったくなかったのだ。
6万円の家賃を払い、光熱費や食費を差し引くと手元にはほとんど残らなかった。家賃の安いところへ引っ越そうにも、引っ越し代が捻出できなかった。平日は社会人として働き、週末は工事現場で瓦礫を運んだ。
「今思えば、当時、なんのコネも能力もない自分に父が出資してくれたのは、ギリギリの生活をしてまで自分の力で起業したいと言った自分を認めてくれたからかもしれない」という。