私たちは、なぜ貨幣という代物に、ここまで熱くなるのだろうか。
いうなれば、単なる紙切れ(ないしは金属)である。しかも最近は、実物にさえお目にかからず、クレジットカードや電子マネーと自分の預金通帳の間で、数字がやりとりされているだけである。
しかし私たちは、日々の生活の衣・食・住をそれに委ね、労働の対価として少しでも多くの貨幣を得ようと欲する。時としてそれは争奪となり、人命を奪う悲劇をも招く。戦争とて所詮はカネ絡みだと考えれば、社会そのものを壊しかねない、劇薬以上の存在である。
スマートフォンに関する連載の書き出しとしては、いささか唐突すぎるかもしれない。また「罪と罰」の例を引くまでもなく、すでに論じ尽くされているような、陳腐な話でもある。
ところで、たとえば前述の話で登場する「貨幣」や「カネ」を、「情報」や「データ」と読み替えてみたら、果たしてどうだろうか。
いきなりSFのように見えるかもしれない。しかしそんな世界が、フィクションではなく現実のものとなろうとしている。そう思わせる出来事が、この数日で相次いだ。
著作権法の改正
一つは、著作権法の改正を巡る動きである。6月15日に衆院で可決後、参院での審議もそこそこに、昨日可決された。すでに報道等でご覧になった方も多いだろう。
同改正法案には、違法ダウンロード行為への刑事罰適用、アクセス制御を回避しての複製の違法化等を含む。たとえば、DVDのプロテクト(CSS)を回避する形での複製は、「回避して複製」という事実を知っていた場合、今回の改正によって違法となる(ただし刑事罰はなし)。