一見すると答えは単純に思える。「身体がP機能を果たしている間は生きている」ので、「その機能を果たさなくなったときに死ぬ」。ただ厳密に死を定義するならば、はたしてどの機能が決定的に重要なのかを考えなければならない。ここで食物を消化したり、心臓を拍動させたりといった機能を「B機能(身体機能)」と呼ぶとすると、P機能とB機能のどちらが止まったときが「死」なのだろうか。

 一般的にP機能はB機能と同時に停止すると考えられている。だが「P機能を失っているにもかかわらず、B機能はある」という状況も存在する。P機能の喪失とB機能の喪失のどちらを死と捉えるかは、人格説と身体説のどちらを採用しているか次第だろう。人格説を採用しているならば、P機能の喪失がすなわち死だ。一方で身体説であれば、B機能の喪失が死ということになる。厳密にはB機能が失われても身体は死体として存在しているが、それは存在しているだけであって生きてはいないので除外する。

 活動停止状態のケースをどう分類するかは難しい問題だ。だがそれを別にすると、物理主義者の立場からすれば、死はとくに不思議な現象ではない。B機能が実行されているかぎり、身体は生きている。さらに万事順調であれば、身体はもっと高次の認知機能であるP機能も果たす。ただ人間の身体はいずれ壊れ始め、どこかの時点でP機能を実行する能力が失われる。そして身体が壊れるとB機能も消失する。ここに謎めいたことは一切ない。身体が作動し、それから壊れる。死とはそれだけのことである。

【必読ポイント!】
◆倫理や価値判断にかかわる疑問
◇死はなぜ悪いのか

 誰もが死を悪いものと考えているが、そもそもなぜ死が悪いのか。

 たしかに私たちは死んだら存在しなくなる。そしてそれが悪いのは自明のように思える。だが「自分が存在しない」という状態が、自分にとって悪いことであるはずがない。自分が存在していないのなら、それが悪いことなのかも判断できないからだ。

 この疑問に対する回答は、「悪い」と判断される際の3パターンを整理すれば見つかる。

 第1のパターンは本質的な意味での悪さだ。たとえば痛みは私たちにとって直接的に悪いことである。痛みは悪であり、だから私たちはそれを避けたいと思う。