
「天才とは1%のインスピレーション(ひらめき)と99%のパスピレーション(努力)だ」と言った人物が、アメリカの発明家そして起業家のトーマス・アルバ・エジソン(1847~1931)だ。この言葉こそエジソンの人生そのものだった。あまたの発明家とは違い、エジソンは偉大な事業家でもあった。
エジソンがその非凡な生涯を閉じるまでに獲得した特許の数は、アメリカで1093件、他の国では1300件にものぼっている。そのうえ、蓄音機や白熱電球の発明に加え、13社の企業を立ち上げたり経営したりもした。
その努力は直接的あるいは間接的に、ゼネラルエレクトリック社やRCA社といった、有名な企業の誕生につながっている。コンソリデイティッド・エジソン社の株式は、現在でもニューヨーク証券取引所に上場されている。
生いたち
トーマス・エジソンはオハイオ州エリー郡のミランという町で、オランダ人とスコットランド人の両親のもとに生まれた。7人兄妹の末っ子で、生まれたときすでに他のきょうだいは大きくなっていたため、実生活ではひとりっ子のような存在だった。
学校の教師をしていた母親はエジソンをいつもそばから離そうとせず、ほとんど家で教育をした。
エジソンは読書欲が旺盛で、ニュートンの『自然科学の数学的原理』やロバート・パーカー・パロットの『自然科学の学校』、そしてギボンズの『ローマ帝国盛衰史』も、12歳になるころにはすべて読破していた。発明と独学を貫いたその人生で、エジソンのこの姿勢は終始変わることがなかった。
子どものころから起業家の素質をかいま見せていた。経済的な理由から一家がデトロイト近郊のポートヒューロンに移り住んだころは、自宅の家庭菜園で育てた野菜を売ったり、グランドトランク鉄道で新聞販売をしたりしながら、やがて、独力で「グランドトランク・ヘラルド」という新聞を発行するまでになった。
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