7月23日、12機のオスプレイが列島に渦巻く反対や不安の声を押し切って、予定通り岩国基地に陸揚げされた。

 野田佳彦首相は24日の国会答弁で「安全確認ができなければ飛行・運用をさせない」と言い切った。事態の深刻さをようやく察知したのだろう。しかし、この答弁も今までの発言と比べて本質は変わっていない。

拙速なオスプレイ配備が
むしろ日米関係を揺るがす恐れも

 今までは、オスプレイ配備は装備の重要な変更ではないから事前協議の対象ではない。だから日本側にこれを中止する何らの権限もなく、「日本がどうしろこうしろという話ではない」(首相)と突き放してきた。

 しかし、この問題はもはや法的問題の域を越えて、社会的、政治的問題に発展している。すなわち、日米合同委員会での協議と言うより、日米首脳の政治協議の対象になる雲行きだ。

 オスプレイの飛行訓練による墜落事故の危険、低空飛行がもたらす騒音や圧迫感。米国内でさえ強い反対運動が起きている。日本列島のほぼ全域で訓練飛行が予定されているから、日に日に全国的な不安が高まっているのは当然だ。

 オスプレイが岩国基地に搬入された直後、森本敏防衛相は「ホッとしている」と語った。

 オスプレイ配備が米軍再編の核心部分と認識する防衛相がそう言うのは理解できなくもない。

 だが、この問題は短絡的に安全保障政策の次元で考えるべきではない。ことは何よりも「安全性」と「生活侵害」の問題なのである。