怪文書から浮かび上がる疑問
差出人は本当に「記者」なのか

 この手の怪文書は黙殺するに限るという知恵があるからだろうか、公には一切問題にされていない。だが、この文章や一連の動きには、日本スポーツ界の中核にある病根が垣間見える気がして、見過ごせない気持ちに駆られる。

 ここで疑問を端的に提示しよう。

 そもそも、山下泰裕JOC会長のIOC委員就任を、怪文書を作ってまで阻止したい人は誰なのか? よほどの怒りを感じ、山下泰裕氏の台頭を苦々しく思う人でなければ、ここまではしないだろう。

 怪文書の差出人は記者有志とあるが、本当に記者の中に、山下泰裕会長では日本のスポーツが後退すると危機感を抱き、憤っている人がいるのだろうか? いるならむしろ頼もしい限りだが、メディアの五輪報道を見ていて、こうした怒りなどはほとんどかけらも感じない。

 私は、「JOCはかつて国(旧文部省)の傘下にあり、政治支配を排除できなかったためモスクワ五輪ボイコットを拒めなかった。この悲劇を二度と起こさないため、スポーツ人たちが立ち上がり、JOCは1989年に政治からの独立を果たした。それなのに、その強い志は風化し、結局、政治と経済の支配下に舞い戻ったのが竹田体制のたどった道。山下泰裕新会長は、まさにボイコットの犠牲者だったのだから、政治家や広告代理店の意向に沿って動くのでなく、改めて先人の情熱を受け継ぎ、スポーツ本位の方向性を貫くべきだ」と、機会あるごとに発言し発信しているが、それに強く賛同するリアクションを受け取ったことはない。

 危機感や義憤を持っているなら、なぜ堂々と報道し、提言しないのか? 記者はまさにそれが出来る立場にある。それらを併せ考えると、怪文書の主は、メディアの記者有志などではないだろうと想像される。仮に実行犯が記者だとしても、画策した首謀者は別にいると考えるのが自然だ。発信の機会を持っている記者が、匿名で、わざわざIOC委員に怪文書を送ることを考え、実行するだろうか。

 もし記者が、政府やJOCあるいは組織委員会への忖度で「書くべき記事」が書けないジレンマを抱えているなら、衝突の相手方はそれぞれの会社(メディア)の上司や上層部に対してであって、矛先がIOCに向く発想回路は理解しにくい。