さすがに米国ではクーデターは起きていないが、情勢判断などで意見の対立が起こるのは不可避だ。

 近年の例としては、イラク戦争直前の2003年2月、米陸軍参謀総長エリック・シンセキ大将(日系3世)が、米議会上院軍事委員会で「イラクを攻撃するなら数十万人の兵力を数年間は駐留させる必要が生じる」と述べ、ラムズフェルド国防長官やブッシュ(息子)大統領の「数万人で数週間で片付く」との楽観論と正面衝突した。

 参謀総長は2期務めるのが慣例だったが、シンセキ大将はその年の6月、1期だけで退役となった。

 その後任に擬された将軍たちは、正論を述べて退役させられた参謀総長の後釜に座ることを次々と拒否し、戦争中に陸軍のトップが2カ月不在という異常事態が生じた。

 その後のイラク戦争の長期化は、シンセキ大将の見通しの正しさを証明した。米国の記者たちがハワイに引退した同大将を訪ねて水を向けても「後輩が懸命に努力しているからね」と批判を慎み、軍人らしい節度を示した。

 その後、オバマ政権になると、シンセキ氏は閣僚級の退役軍人庁長官に任じられた。

 将軍と大統領との対立で、シンセキ大将と対照的な例は、ダグラス・マッカーサー元帥だ。

 朝鮮戦争勃発当時の1950年6月、マッカーサー元帥は「北朝鮮軍が韓国に侵攻する準備を整えている」との韓国軍の情報を無視して奇襲され、米・韓軍は釜山近くまで追い詰められた。

 制海権は米海軍が握っていたから米軍は、仁川に上陸して北朝鮮軍の側面を突き潰走させソウルを解放、追撃を続けた。中国は「米軍が北進するなら介入せざるを得ない」と表明していたが、マッカーサー元帥はそれを虚勢と見て朝鮮半島の北端、鴨緑江に迫った。

 米・韓軍はいくつもの谷間に沿って分散して北進するのに対し、中国軍は夜間行軍で尾根伝いに南下したから、米・韓軍は包囲網に入り込む形になった。

 戦闘になると米・韓軍は寸断されて大混乱し、ソウルの南約60キロまで約400キロも退却する歴史的敗走となった。

 これに狼狽したマッカーサーは中国本土の爆撃、海上封鎖、台湾に逃れていた蒋介石軍の中国本土進攻支援を主張し、全面戦争化に反対するトルーマン大統領と対立した。

 マッカーサーは野党(共和党)議員に書簡を出したり、新聞社のインタビューに応じたりして、「政府が手を縛っているから勝てない」と自分の状況判断の誤りによる責任を政府に転嫁しようとして、1951年4月に解任された。