文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。飛ぶ鳥を落とす勢いの田中角栄を内閣退陣に追い込んだ立花隆氏の『田中角栄研究』は、多くの人の人生を変えた。30年以上たって、人生を狂わされた田中角栄の娘が立花隆氏の前に現れる……。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
『田中角栄研究』に
文春社長は反対だった
立花隆さんの「田中角栄」研究は、私が文春を志望する最大のきっかけでした。入社したばかりのころ、立花さんの取材班に配属されて、ずっと会社に泊まり込んで仕事をしました。
立花さんは寝る前に、取材班に今夜調べることを指示し、朝起きてくるとまた次の指示があります。取材班に寝るヒマはないのですが、立花さんも多分寝床に寝転がっているだけで、アタマはフル回転していたのでしょう。私も若く、立花さんも若いころです。なにしろ田中角栄研究のとき、立花さんは34歳。その年齢で戦後日本の最大権力者と1人で対峙していたのですから、鬼気迫る雰囲気でした。
ただ、雑談を始めると、とても柔らかい眼差しになります。まず若者に優しいこと。学生バイトと同じものしか食べませんし、贅沢も言いません。 朝はいつも、文春ビルの前にあった木村屋さんというパン屋のカレーパンをたくさん買い込んで、皆で食べたのが懐かしい思い出です。
田中角栄研究を書いた立花さんと文春は、その頃すでにあまりいい関係ではなかったのですが、当時の私はその経緯を知りませんでした。夜半、取材が終わった後、飲み屋に出かけて少し経緯を聞きました。