文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。1992年、貴乃花(当時は貴花田)と宮沢りえの「世紀の婚約」を潰した「大人の世界」の裏側を懺悔します。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
「世紀の婚約」と騒がれた
貴花田と宮沢りえ
貴乃花といえば、元夫人はフジテレビ元アナウンサーの河野景子さんというのが世間の常識となってしまいましたが、我々の世代では、人気絶頂の関脇時代、「世紀の婚約」といわれた貴花田(当時)と宮沢りえさんの婚約が衝撃的な記憶です。
人気に陰りが見えていた大相撲に登場した、元人気力士の2人の息子、貴花田と若花田は、父親顔負けの激しい相撲をとって大いに話題となりました。一方の宮沢りえさんは、これも人気絶頂の10代でヘアヌード写真集を出してベストセラー。美男美女のカップル誕生に世の中は沸きに沸きました。
婚約発表は1992年11月27日。宮沢りえさんは、その会見寸前まで文芸春秋の女性誌『CREA』で対談していたのですが、スタッフも編集長もまったく気付かず…大いに悔しい思いをしていました。
その2人の婚約を壊したのが週刊文春です。
当時の週刊文春編集長は花田紀凱。雑誌が売れに売れていた時期で、宮沢りえさんのヘアヌード公刊のときは、2枚だけグラビアページに掲載させてもらって、部数を稼いでいました。
なので、りえさんが憎いわけでもありません。花田という名前だけに貴花田もお気に入り。2人の婚約会見を見ながら、花田編集長が、「宮沢りえって本当に可愛いなあ。こんなに輝いている女優をみるのは久しぶりだ」とつぶやいていたのもよく記憶しています。
しかし、それから数カ月で、我々の立場はガラっと変わってしまいます。