◇心機一転、移住して農家の道へ

 雇われ社長時代、「もし業績が上向かなかったら、死んで詫びよう」と本気で思っていたという著者は、体の違和感など気に留めなかった。しかし、30歳を迎える頃、身体は悲鳴を上げ始める。2.0だった視力は働き出してから0.1にまで下がり、後天性無汗病という汗をかかない病気も発症。この病気は今も治らない難病である。「あんた、なんか死にそうだよ」と妻に言われるほど異常に顔色が悪かった。ストレスが身体の内外に噴出し、文字通り「限界」だった。

「そろそろ自分の事業をやってみたいな」と考えるようになっていたタイミングでもあった頃、妻の故郷である山形県天童市に住む親戚から愚痴を聞かされる。「農家に元気がまったくない。あんたが元気にしてくれ」と。すぐにその気になってしまう性格の著者は「俺が山形の農業を元気にしてやろう!」と意気込み、周囲の反対を押し切って、2011年3月に天童市に移住することを決める。

【必読ポイント!】
◆1本1万円のネギが、200万本のネギの価格を上げる
◇品質や原価を考慮しない、農作物の価格づけ

 農業を始めた著者を打ちのめしたのが、農業市場と単価の問題だ。農作物の価格は、品質や原価とは無関係に決まる。多くの農家は通常、農業協同組合(農協)を通じて作物を出荷している。市場では、農作物の値段は競りで決まるため、値段は乱高下する。品薄の時期には倍になるし、品物があふれている時期は半額にもなる。

 著者はこの事実に大きな違和感を抱いた。著者の場合は、農業を始めて1年目のネギよりも、うまくできたはずの2年目のネギの方が価格が低かった。価格が上がるメリットを享受できることはほとんどないが、価格が下がるデメリットは経営を揺さぶる。経営を安定させるためには、市場を通すとデメリットの方が大きいと感じるようになる。

◇直取引で安定した売上げを確保

 農協だけに頼ってはダメだ。そう感じた著者は、ネギのヘビーユーザーである蕎麦屋に目をつけた。持ち前の営業スキルで蕎麦屋にネギを仕入れてもらうようになる。2年目からはスーパーへの営業も行い、各地のスーパーとの直取引を開始する。4年目に首都圏のスーパーと契約してからは、全国展開のスーパーでも扱ってもらえるようになった。今では全国三越伊勢丹や紀伊國屋などの高級スーパーとの取引も実現している。