日本でもデジタル・トランスフォーメーション(DX)が声高に叫ばれてきたが、今回のコロナ危機でデジタルシフトはさらに加速した。その一方で、企業間のデジタル格差が広がっているという指摘もある。デジタルによってビジネスのトランスフォーメーションを実現する企業には、どのような特徴があるのか。それを示したKPMGのCIO調査をもとに、早くから製薬業界のDXをリードしてきたアステラス製薬にデジタル戦略のポイントを聞いた。

コロナ危機で広がる
デジタル格差

デジタルとアナログのベストミックスKPMGコンサルティング 執行役員/パートナー 浜田浩之HIROYUKI HAMADA外資系コンサルティング会社、日系コンサルティング会社を経て、2014年、KPMGコンサルティングに入社。IT戦略やDX戦略の策定から、全社テクノロジーアーキテクチャーの設計、テクノロジー導入のプロジェクトマネジメント、レガシーマイグレーションなどの情報システムの刷新、PMI、IT企画・管理機能やDX推進機能の最適化、IT部門やDX部門の改革など、IT/ICT導入ならびにDX推進に関するコンサルティングを提供。2016年より現職。

浜田コロナ危機によって企業のデジタルシフトが加速したといわれていますが、我々KPMGが英ハービー・ナッシュと合同で実施している「Harvey Nash/KPMG 2020年度CIO調査」(以下CIO調査)でも、それが数字となって表れました。世界83カ国4219人に上るグローバル企業のCIOおよびテクノロジーリーダーにIT投資状況をヒアリングした結果、2019年と同様、2020年もIT予算が過去最高を更新したのです。さらにはコロナ後の追加調査により、危機対応のために平均5%の追加支出がなされていることがわかりました。

 このように今回のコロナ危機は、リーマンショックがそうであったように、すべての投資が抑制される過去の危機とは様相が大きく異なり、IT投資が明らかに拡大しているのが特徴です。それを業界別で見ていくと、電力・公益事業、政府機関に次ぎ、3番目に投資意欲が高いのがヘルスケア業界です。その一翼を担うアステラス製薬では、今回のコロナ危機によって、IT投資に影響はありましたか。

須田投資規模そのものは、コロナ前と後でほとんど変わっていません。医薬品を扱う当社にとって、データ分析をもとにした研究開発が中心業務です。よって、データサイエンティストやアナリストに近い人たちは昔から研究・開発・営業それぞれの部署にいました。

デジタルとアナログのベストミックスアステラス製薬 情報システム部長 須田真也 SHINYA SUDA 1992年、山之内製薬(現アステラス製薬)に入社し、研究所システム運用、ITリスク管理に従事し、その後、IT部門のグローバル化推進事務局に在籍。2004年、合併準備委員会事務局にてITシステムの統合、また2005年、国内IT子会社の富士通への移管プロジェクトを担当。2008年から2010年まで、イギリスにある欧州子会社IT部門に出向し、欧州ITインフラ運用のアウトソーシング展開などを推進。帰国後、SAPおよび周辺アプリケーションの開発・運用を統括。2011年10月コーポレートIT部長就任、システム運用業務委託先のグローバル再編を経て、2015年4月より現職。

 コロナ危機でやったことといえば、従来から活用していたオンライン会議ツールなどのコミュニケーションツールやテレワーク環境を、より在宅勤務がしやすいよう拡充したことでしょうか。固定電話の廃止や受信FAXの電子化もコロナ以前から進めていました。

 また、MR(医療情報担当者)が医療機関への訪問自粛に対応できるよう、情報提供や営業活動のリモートツール機能を強化し、医療従事者とのオムニチャネル化も進めました。かなり以前からノートPCを支給しており、社外からIT環境を利用できるネットワークも整えていました。オンライン環境だけでなく、フレキシブルな働き方を支える人事制度もすでに導入しています。

浜田ちなみに貴社のようにデジタル技術を効果的に活用している企業のことを、前述のCIO調査で我々は「デジタルリーダー」と呼んでいます。前年よりも1割増となる約4割がこれに当たるのですが、興味深いことにこのデジタルリーダーは、売上げ、利益、企業価値、顧客の信頼、従業員満足度などあらゆる面で、そうでない企業を上回る結果となりました(図表「CIO調査が示すデジタルリーダーの高パフォーマンス」を参照)。

 また、デジタルリーダーではDXがいっそう加速していることもわかりました。デジタルによるビジネスモデルを試し、失敗すれば切り捨て、うまくいったものは進めるなど、取捨選択しながらどんどん新興技術を取り入れています。一方、デジタルリーダーでない企業はコロナ危機対応が取り組みの中心となっており、企業間の「デジタル格差」が生まれている状況です。いち早くデジタルを味方につけた貴社は、具体的にどのような戦略で進めているか教えていただけますか。

須田当社では、経営戦略のすべてにデジタルやデータの活用が組み込まれています。現在最終年度を迎えている「経営計画2018」で掲げられた3つの戦略目標を簡単にご紹介しましょう。

 1つ目の目標は「製品価値の最大化とOperational Excellenceの更なる追求」です。まずは製品価値を最大化するため、医療機関の方々への情報提供のあり方を見直しました。MRによる医療機関の訪問というプッシュ型のコミュニケーションのみならず、デジタルを活用したプル型チャネルでも情報提供を行っています。具体的には医療従事者向けのオウンドメディアや、オンライン会議ツールとCRM(顧客管理システム)を連動させたコミュニケーションプラットフォームなど、複数のチャネルを融合したオムニチャネルを展開中です。なお、コミュニケーションプラットフォームについては、国内では「myMR君」というサービスを2020年6月から導入しました。オウンドメディアは以前から運営していますが、今後はMR活動や他のツールとの連携を強化し、適切な時に適切な形で情報提供できるようシフトしていきます。Operational Excellenceの追求は、急速に変化する環境にしなやかに対応できる組織や仕組みを構築し、組織運営の質の向上とオペレーションの効率化を目指しています。

 2つ目の目標は「Focus Areaアプローチによる価値創造」です。創薬・研究開発の進化を指します。疾患領域という従来の切り口に留まらず、バイオロジー(生物学)、モダリティ(治療手段)、疾患という3つの領域から対象分野を絞り込んでいく試みです。いまだに治療法が見つかっていない疾患の医療ニーズを「アンメットメディカルニーズ」といいますが、3つの領域からライトの光を重ねて照らすことで、アンメットメディカルニーズに専門性やプラットフォームを構築していくというイメージですね。ここでは特に、データ活用が成功のカギの一つです。

 3つ目の目標は「Rx+Rプログラムへの挑戦」です。新たな医療ソリューションを開発し、患者さんに価値を提供します。

浜田オープンイノベーションを中心とした新事業創出の取り組みですね。

須田その通りです。医薬品の枠を超えた新たなヘルスケアソリューションの提供を目的としており、他社と協業してアプリ開発などを行っています。一例が、バンダイナムコエンターテインメントと共同開発しているゲーミフィケーション型の運動支援アプリです。当社が運動プログラムを立案し、バンダイナムコエンターテインメントが楽しみながら運動を継続できるアプリの開発、インフラ管理を行っています。

 また、医薬品事業の創薬においては、AIを活用した研究開発、オープンイノベーションが進んでいます。たとえば香港インシリコ・メディシンとの共同開発事業では、生成型人工知能システムというテクノロジーを利用し、これまで治療が難しかった疾患の創薬を進めています。創薬に必要なアルゴリズムをAIで開発し、創薬プロセスの短縮化を図るものです。