無視できない第三者の声
良くも悪くも鶴の一声
Cさん(41歳男性)の夫妻間では、子どもの小学校を私立にするか公立にするかで意見が割れていた。Cさんの「環境が整っている私立がいい」という主張に対し、妻は「公立で伸び伸びさせたい」と考えていた。
「それまで妻とは目立った対立もなくやってきていたので、小学校もすんなり決まるものとのんびり構えていた。だから妻と意見がぶつかるということに戸惑った。
しかも話し合いを重ねるほどお互いの意思が固いことがわかっていって、暗礁に乗り上げてしまった」(Cさん)
Cさんは私立の小学校、そして妻は公立の出身である。お互いに自らが育まれてきた環境が良かったと信じていて、それを子どもにも踏襲させたいと考えていた。
「よくよく話を聞くと、妻の幼なじみが私立に上がってから段々意地悪な性格になっていったらしく、その体験が妻の私立嫌いを根深いものにしているようだとわかった。
妻の心情も理解はできたが、僕自身は私立で楽しく育ってこられたと思っていた。意見は完全に平行線だった」(Cさん)
私立と公立、どちらに進むかを決めるにはまだ時間的な猶予があった。しかし落としどころは見えないままである。途方に暮れる中、時間だけが過ぎていった。
そんなとき、事態を変える出来事があった。正月、Cさんが妻の実家にお邪魔した時のことだ。
「新年の挨拶を終えて雑談をしていると、義母から『小学校は公立でいいのではないか』と提案があった。義母のトーンは遠慮がちでこちらを立てたものではあったが、影響力は僕にとってすごく大きい。義理の両親には金銭面や育児など種々の面でサポートを受けてきていて、多大な恩義を感じていた。その人からの提案となれば、むげにはしづらい。
妻が根回ししたのかもしれないし、根回しというには至らず妻が雑談の中で義母に子どもの小学校のことについて漏らし義母が自発的に動いたのかもしれない。
どちらにせよ、僕としては抗しがたい形で選択を迫られて非常に面白くなかった。しかし気分を優先させて不義理を働けるような性格でもなく、私立の小学校を諦めることにした」(Cさん)
Cさんは「お世話になっている人の希望に沿えるなら」と自分に必死に言い聞かせたそうである。Cさんの私立取り下げの決定を聞いた妻は、それまで対立した状況が当たり前になっていたからであろう、夫の翻意にかえってあたふたし、「私立でもいいよ」と譲歩の構えを見せ始めた。
自分が母にした根回しじみた言動が功を奏したことに罪悪感を覚えた、というのもあるかもしれない。Cさんは決意を揺るがしたくなかったので「公立にしよう」と宣言し、これを実行した。義母の一声は悪くいえば“外部からの圧力”であり、良くいえば“夫婦の停滞状況を打破するハッパ”であった。
子どものためを思うからこそ、夫婦はぶつかり合うことがある。今回取り上げた三つのケースで、どうにか片が付いたのは当人たちの苦闘のたまものであろう。ぶつかり合う過程で夫婦の意地の張り合いになってしまわない限り、そこでなされた選択はどのようなものであっても、必ずや子どもへの愛情に満ちあふれたものであるに違いない。