集中から分散への歴史をたどり
変革は進んでいく

 これまで世界各地でスマートシティプロジェクトが実施されてきましたが、最近では、グーグルの姉妹企業であるサイドウォークラボが、カナダのトロントで進めていたプロジェクトから撤退したように、計画が頓挫することも少なくありません。

原田:スマートシティプロジェクトのノックアウトファクター(敗北の要因)として大きいのは、個人情報の取り扱いです。

 たとえば、渋滞解消などの「都市の機能の最適化」と3密の回避など「個人の移動体験の最適化」には、個人データの取得・分析が必要になります。しかし、個人情報の秘匿性がどう担保されているのか、監視や私的企業の利益のためでなく、公的利益のために活用されているのか。生活者のそうした懸念を払拭できない限り、そのスマートシティで暮らしたいと思う人はいないでしょう。

「社会で合意したルール」と「秘匿性を担保しながら個人情報を取り扱うことができる公共性の高いプラットフォーム」の両面から、懸念を払拭する必要があります。

濱田:自社の製品やサービスを中心とした世界観でスマートシティの構想を描いても、持続可能性は低いと思います。街中のセンサーを使って取得したデータを、広告ビジネスに使うのではないかと疑われてしまっては、プロジェクトは前に進みません。

 あくまでも、そこに暮らす人を起点として、生活者の幸福度を高めるスマートシティを構想する必要があります。

バリューチェーン終点の消費者から<br />ネットワーク中心の生活者へ

祖父江:デジタルを活用して住民サービスの無駄をなくす、より便利に利用できるようにするというのは供給者の発想です。

 人々の幸せや豊かな生活というのは、ある意味、無駄な部分にこそ存在します。行政の無駄を省くのは大事ですが、効率性を競うだけでは街としての豊かな個性は生まれません。つまり、スマートなだけの都市は魅力に乏しく、人が集まらないのです。

原田:地産地消を徹底し、デジタル活用によってフードロス(食品廃棄)をゼロにすることに取り組む都市があれば、そうした社会課題に関心のある世界中の人が集まってくるかもしれません。なかには、オンラインで知恵だけ貸してくれる人や、その都市で開かれるイベントに旅行者として参加する人もいるでしょう。そのように、共感を持つ多くの人が集まるような個性や魅力をどうつくっていくか。デジタルの時代においては、「メディアとしての都市」という視点がカギなんです。

濱田:企業にとっては、自社の提供価値をいろいろな都市で横展開できれば効率がいいのですが、都市によって、あるいはそこに住む人々によって、何が最適であるかは異なります。異なるからこそ、そこに個性が存在するわけで、一定の効率性を維持しながら、個別最適化されたサービスをどう提供していくか。繰り返しになりますが、そこにデジタルの強みを活かすべきです。

原田:振り返ってみると、産業革命は分散化の歴史でもありました。蒸気機関が発明され、その後、内燃機関やモーターができて、パワーの分散化が進みました。次にコンピュータができて、コントロールの分散ができるようになり、最近はエネルギーの分散も可能になりました。集中ではなく、分散化を進めながら社会は発展してきました。

 一方、ITの歴史を見ても、メインフレームからPCへと分散化が進み、クラウドによって集中化への揺り戻しが起きましたが、いまはモバイルとエッジコンピューティングが急速に進化しています。つまり、集中と分散を繰り返しながらも、緩やかに分散化の方向へ進んでいます。

 要するに、分散化を通じ、個にパワーがシフトしていくことで、変革が進むという歴史を私たちはたどってきたわけです。

 都市のDXもそのような歴史的パースペクティブでとらえる必要があります。デジタルによるパワーシフトによって、中央から地方へ、さらには、主権者たる住民が都市を統治していく。あくまで生活者たる住民が中心です。その意味で、都市のDXとは機能不全を起こしている民主主義を、デジタルによって再設計することだともいえるのではないでしょうか。

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