しかし、郊外からの通勤需要の増加と、それに伴うターミナル駅での乗り換え客による混雑激化に対応すべく、新規に建設する地下鉄は郊外私鉄と線路を直結し、相互直通運転を行う方針が決定されたことから、通常の電車と同様に架線からパンタグラフで電気を取り入れる架空電車線方式で建設されることとなった。

 日比谷線は北千住で東武鉄道伊勢崎線と、中目黒で東急電鉄東横線と直通運転を実施することになり、前者は1962年5月から、後者は1964年7月から相互直通運転が開始された(東横線との相互直通運転は2013年に休止)。

全線開通から数年で
複数の事故が発生

 日比谷線は当初、東横線沿線の都市開発による将来の輸送需要の増加を考慮し、八丁堀~中目黒間は8両編成に対応したホームで、北千住~茅場町間は6両編成に対応したホームで建設された。ところが、開業してみると伊勢崎線沿線で都市開発が予想以上に進んだため、北千住~茅場町間においても順次、8両編成への対応工事が行われている。

 それまで伊勢崎線から都心に出るには、終点の浅草で銀座線に乗り換えるか、北千住で常磐線に乗り換え、日暮里で山手線か京浜東北線に乗り換える必要があった。それが日比谷線との相互直通運転開始により、乗り換えなしで銀座、日比谷まで出られるようになったことで、沿線人口が爆発的に増えたのだ。相互直通運転の威力を見せつけた格好である。

 一方で、日比谷線は営団地下鉄における鬼門だったと言えよう。全通間もない1966年12月には、直通先の東武線西新井駅で東武大師線の電車と日比谷線の電車が衝突する事故が発生し、乗客7人が死亡した。

 1967年9月には中目黒駅構内の折り返し線で車両が車止めを破って脱線する事故が発生。1968年1月には神谷町駅で回送中の車両から出火し、1両が全焼。「燃えない」とされていた地下鉄車両が全焼する事故は、関係者に衝撃を与え、鉄道車両の耐火基準の見直しにつながった。また同年5月には、東横線内の踏切でバスと接触して先頭車両が脱線。乗客1人が死亡する事故が起きている。