ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者ポール・ナースの初の著書『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』が世界各国で話題沸騰となっており、日本でも発刊されてたちまち5万部を突破。朝日新聞(2021/5/15)、読売新聞(2021/5/3)、週刊文春(2021/5/27号)と書評が相次ぐ話題作となっている。
ポール・ナースが、生物学について真剣に考え始めたきっかけは一羽の蝶だった。12歳か13歳のある春の日、ひらひらと庭の垣根を飛び越えた黄色い蝶の、複雑で、完璧に作られた姿を見て、著者は思った。生きているっていったいどういうことだろう? 生命って、なんなのだろう?
著者は旺盛な好奇心から生物の世界にのめり込み、生物学分野の最前線に立った。本書ではその経験をもとに、生物学の5つの重要な考え方をとりあげながら、生命の仕組みについての、はっきりとした見通しを、語りかけるようなやさしい文章で提示する。
養老孟司氏「生命とは何か。この疑問はだれでも一度は感じたことがあろう。本書は現代生物学の知見を十分に踏まえたうえで、その疑問に答えようとする。現代生物学の入門書、教科書としても使えると思う。」、池谷裕二氏「著名なノーベル賞学者が初めて著した本。それだけで瞠目すべきだが、初心者から専門家まで読者の間口が広く、期待をはるかに超える充実度だ。誠実にして大胆な生物学譚は、この歴史の中核を担った当事者にしか書けまい。」、更科功氏「近代科学四百年の集大成、時代の向こう側まで色褪せない新しい生命論だ。」。
さらには、ブライアン・コックス(素粒子物理学者 マンチェスター大学教授)、シッダールタ・ムカジー(医師、がん研究者 コロンビア大学准教授)、アリス・ロバーツ(人類学者 バーミンガム大学教授)など、世界の第一人者から絶賛されている。
本書の発刊を記念して、訳者竹内薫氏と脳科学者茂木健一郎氏の対談が実現した。『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』の読みどころや魅力について、お二人に語ってもらった。(取材・構成/田畑博文)

脳科学者茂木健一郎氏が語る「クリエィテイブとはどういうことか?」についてのスゴい学びの本

語学が苦手な天才

茂木健一郎(以下、茂木) WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』にも書いてありますが、ポール・ナースは高校卒業後に、研究所で実験助手として働き始めたんだよね。

竹内薫(以下、竹内) 酵母菌の実験をしていました。それも運命ですよね。

茂木 この本で印象に残った箇所がいくつかあります。まず大学に入るときにフランス語の試験を落ちまくって、どこの大学も受からなかったこと。結局、先生に拾ってもらってバーミンガム大学に行けたのですよね。

竹内 「フランス語の勉強と本を書くのは、どちらが難しかったですか」って聞いたら、「フランス語の方が大変だった」って言っていました(笑)。

茂木 それで思い出しましたが、益川敏英先生も英語が苦手で、ノーベル賞をもらうまではパスポートを持ってなかったとおっしゃっています。

脳科学者茂木健一郎氏が語る「クリエィテイブとはどういうことか?」についてのスゴい学びの本茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究する。2005年、『脳と仮想』で、第四回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。

竹内 天才的な科学者の中で、語学をまったくやらない人がいますが、ポール・ナースも同じですよね。フランス語の試験は通らなかったけれども、他の才能が優れているから、という理由で入学できたわけです。

茂木 それから印象的だったのは、ロックフェラー大学の学長をしていたときにアメリカのグリーンカードを申請したら却下されたという話です。ノーベル賞も受賞していて、イギリスではナイトに与えられる「Sir(サー)」の爵位をもらっていたにもかかわらず……。なぜだろうと出生証明書を請求したら、そこで初めて自分の出生の秘密を知ったという……。

竹内 実際に自分が彼の状況だったら、びっくり仰天するよね(笑)。

茂木 さまざまな葛藤があったに違いないのに、本の中ではさらっと書いています。

竹内 そうそう! もし私だったら1章分使って書くような話を、1~2ページで終わらせています。飄々と書いているから「え? それで終わり?」と感じますが、逆に言うと、あの出来事がいかにポール・ナースにとって衝撃的だったのかが伝わってくる。

死ぬことに大きな意味がある

竹内 ポール・ナースは「生物にとっては死ぬことに大きな意味がある」というような生命観を書いています。一般的には「不老長寿がいいんじゃない?」と考えてしまうのですが、それはすごく深いよね。

脳科学者茂木健一郎氏が語る「クリエィテイブとはどういうことか?」についてのスゴい学びの本竹内 薫(たけうち・かおる)
1960年東京生まれ。理学博士、サイエンス作家。東京大学教養学部、理学部卒業、カナダ・マギル大学大学院博士課程修了。小説、エッセイ、翻訳など幅広い分野で活躍している。主な訳書に『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』(ロジャー・ペンローズ著、新潮社)、『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著、新潮文庫)、『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』(ポール・ナース著、ダイヤモンド社)などがある。

茂木 ゴールデン・ライス(遺伝子組み換えによってビタミンAを生成できるようにしたイネの品種)に関しての言及にも、力が入っていると感じます。「ゴールデン・ライスによってビタミンAが不足している人々を救える」という目配りは、僕は前向きでいいなと思う。生物学の可能性をちゃんと書いている。

竹内 この件に関してインタビューで触れたとき、語調が変わって、反対する人に対して非常に怒っていましたね。彼はいつもは環境保護NGOの活動を応援しているんだけど、安全性の実験をすることにも反対するNGOについては、このゴールデン・ライスの件だけは間違っている、と。

茂木 弱い人の味方というか、途上国の子どもたちがビタミンAの不足で苦しんでいるということに対して、何かをしなくてはいけないという思いがあるんだと思う。

竹内 人類愛にとどまらない「生命愛」を広く感じます。宗教者に近いような境地なのかな。

茂木 イギリスの学者の中にはパブリック・スクール(※私立の中等教育学校)からケンブリッジ、オックスフォードに行って、ずっとその中にいる典型的なエリートもいます。そうした中においては、おそらくポール・ナースは苦労人で、それが彼の人間的魅力につながっていると感じました。

竹内 実際、兄弟のうちで高等教育受けたのはポール・ナースだけという家庭環境だったそうです。

茂木 なるほど。たとえばイギリス人科学者の中でもリチャード・ドーキンスやロジャー・ペンローズは、典型的なエリート。イギリスの科学者というとそうしたイメージがあると思いますが、ポール・ナースは苦労人で、「普通」の環境の中から頭角を現してきた人だから、途上国の人にも共感できるところがあるんじゃないでしょうか。