大発見をする人はどこに注目するのか?
茂木 私は大学院までバイオ・ケミストリーを勉強していたので、この本は既知の情報も多いのですが、知っている話であっても、ポール・ナースの語り口に魅了されました。
竹内 同じ知識を伝えるにしても、教科書的じゃなくて、自分の味というか独自の見方で伝えてくれています。それが本書の個性だと思います。
茂木 細胞分裂の周期をコントロールするのに必要な「cdc2遺伝子」を見つけた経緯も面白い。培養していた変異細胞のコロニーの中に小さいものがあり、ポール・ナースは「これは頻繁に細胞分裂しているから小さいのでは? ある種の変異に関係しているのではないか」と眼をつけます。こうした「発見の物語」が非常に興味深いですね。
竹内 最初に発見した人は「そこに注目する?」ということに気がつきます。これは本当にすごいことで、面白いことでもありますが、教科書には「cdc2遺伝子が細胞周期を制御しています」としか書かれない。それはもったいないよね。
茂木 「cdc2遺伝子」とほとんど同じシーケンスのものは、最初、酵母菌で見つけたそうですが、そこから「人間を含めたすべての生物が、同じようなメカニズムである」という結論につながる。また、細胞周期の制御の仕組みはがんのメカニズムにも関係しており、こうした研究によって、将来がんの治療へとつながっていくかもしれないという生物学の醍醐味が熱く語られている。それが面白いところだと感じました。
竹内 私たちは「酵母」というとパンやビールを思い浮かべますが、ポール・ナースはそれを突き詰めて研究して「細胞分裂のメカニズムは、酵母も人間も同じである」という結論に至ります。普通ならば「酵母ではそうかもしれないけど、他の動物は違うはず」と考えますよね。
茂木 『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』は、ポール・ナースの発見の歓びやワクワク感を通して、「クリエィテイブとはどういうことか?」についての本としても楽しめますよね。
カズオ・イシグロの最新作との共通点
茂木 私たちは東大の理学部物理学科の卒業研究で、生物物理の研究室に所属したけれど、あの頃と現在の生物学とを比べて、何が最大の違いかと考えると、細胞が前面に出てきたことではないかと思います。かつては、分子を単位にしていましたが、この本にも書かれているように、山中伸弥さんのiPS細胞の発見などの後には、「細胞ってすごい」という流れが生まれました。現在は細胞を単位にして、細胞を操作するといろいろできるという雰囲気になってきている気がします。
竹内 たしかにそれはそうだね。
茂木 そういう意味において、ポール・ナースさんの細胞周期を制御する「cdc2遺伝子」の話というのは、まさに21世紀の生物学につながる話だと感じます。
竹内 細胞を中心に研究するという話は、当時はなかった。
茂木 逆に言うと、細胞は今でもまだブラックボックスで、どう扱うかわかっていない。ただ細胞単位にしていろいろな操作を行うと――たとえばiPS細胞もそうですが――再生医療などにも応用できる、というようなことが見えてきています。現在は非常にエキサイティングな分野です。
竹内 細胞に関して言うと、「生物学者は生物の見方が違う」と感じたのは、細胞の「区画化」に関して書かれたところです。私たちは学校で細胞の図を見て、ここにミトコンドリアがある、核がある、と習いますが、区画化の意味は知りません。区画化の意味、つまり「区画を作る壁ではどういうものが出入りしているのか」について触れているのは、生物学者ならではだと思いました。
茂木 この本では、ゲノム編集(生物の遺伝情報を自由に書き換える技術)や「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス・ナイン)」のことも書かれている。2020年のノーベル化学賞は「CRISPR-Cas9」によるゲノム編集技術の基礎研究を行った2人の研究者に贈られました。カズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』でも、ゲノム編集が重要なモチーフとなっています。そうした技術が現実になっている時代において、この本はとてもタイムリーな気がします。
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