この大正期から昭和初期にかけての時代は、戦前期における政党政治の開花期でもあり、中でも二大政党の一角を占めた政友会は公共投資拡大を経済政策の中心に据えていた。
政友会が政権を担っている時期に、時に財政拡張の傾向が過度に強まる局面があったという意味では、現代の財政運営に通じる部分があったことも確かだ。
この時代の政友会にあって経済政策の面で圧倒的な存在感を持っていたのが、あの高橋是清だ。
高橋は、政友会総裁として、そして首相、蔵相として長きにわたって日本の経済政策運営に大きな影響を及ぼした。
特に1930年代初めの世界恐慌時に行った積極的な財政拡張策と通貨安誘導政策は、ほぼ同時代のあのケインズの主張を先取りした先進的な経済政策であったと後世では評価された。
それから約70年がたって再び日本がマイナス成長に陥り始めた1990年代末以降に、度々その業績が回顧され、再評価の光が当たることになったのは偶然ではない。
しかし高橋は、10年、20年と続くような慢性的な財政悪化を容認していたわけではなかった。むしろ、1930年代以降に強まった軍事費膨張の流れには何とか歯止めをかけようと腐心をしており、そのことが原因になって36年の二・二六事件の悲劇に巻き込まれることになった。
高橋が生きていたら、歯止めなく拡大していく現代の「経済対策」、「財政赤字」の状況をどのように評価するだろうか?
財政拡張に対する「バランサー」の喪失
高橋是清がいない現在の日本
1990年代末に始まった日本の政府債務拡大の歴史を振り返ってみると、バブル崩壊間もない93年度の補正予算ではGDP比1%弱の歳出追加が行われた(一般会計ベース)。
初めてマイナスに陥った98年度には、金融危機への対応も含めて二度の補正予算でGDP比2%に達する追加歳出が行われた。
そして、リーマン危機に際しては、2009年度の補正予算でGDP比3%弱の歳出追加が行われた。
こう見ると、リーマン危機までは、財政政策の規模が膨張はしているもののそのペースはある程度、漸進的だったともいえる。
それに対して今回のコロナ危機では、この数値が一気に14%に跳ね上がった。



