唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
しびれるのは薬指と小指だけ
肘を机の角に思い切りぶつけ、腕にビリビリと嫌な痛みが走った経験は誰しもあるだろう。不思議なことに、打撲したのは肘なのに、しびれるような痛みは指先まで広がる。
なぜ、このような現象が起きるのだろうか?
肘の部分では、体表面に近いところを神経が走っているからである。この神経を、「尺骨神経」という。
尺骨神経は、薬指の半分と小指の感覚を司っている。肘をぶつけたときは手全体がしびれるように感じるかもしれないが、そうではない。しびれるのは薬指と小指の二本だけで、しかも薬指は外側の半分だけしかしびれないのだ。
次にぶつけたときは、そのつもりで意識してみてほしい。しびれの領域が思った以上に限定的であることに気づくはずだ(そんな余裕もないくらい痛いかもしれないが)。
手の感覚を支配するのは、尺骨神経のほかに橈骨神経と正中神経がある。いずれも腕から手に伸びていて、それぞれの神経が担当する範囲は厳密に決まっているのだ。
もちろん、いずれの神経も、手の「感覚」だけでなく「運動」も支配している。人間の体の中で、手ほど複雑な運動ができる部位はない。手だけで骨は二七個もあるし、親指を動かす筋肉は八種類もある。三種類の神経が複雑に連携し、手の細かな動きを可能にしているのだ。
ちなみに、橈骨神経の麻痺は、俗に「サタデーナイト症候群」や「ハネムーン症候群」などと呼ばれている。恋人に腕枕を長時間すると起こる麻痺だから、というのが由来だ。
橈骨神経が麻痺すると、指を伸ばしたり手首を反らしたりするのが難しくなる。正式名称は「下垂手」である。
血管の走る場所
太い神経や動脈は、その多くが体表面から離れた深いところを通っている。大事な管や線維ほど、簡単に傷つかないよう深いところを走らせておくほうが有利である。
だが、前述の尺骨神経のように、人体の構造上、例外的に浅いところを通る部分もある。これは、動脈についても同じである。
「リストカット」という言葉をご存じだろうか?
リストとは、リストバンドの「リスト」、つまり手首のことだ。リストカットとは、自分の体を傷つける目的で、手首の血管を切ることをいう。
なぜ、他の部位ではなく手首が選ばれるのだろうか?
それはもちろん、動脈が「例外的に」浅いところを走っているからだ。この動脈を「橈骨動脈」という。自分の手首に指をそっと当ててみると、誰でもドクドクと脈を感じることができるはずだ。
手首と同様に、体の中には動脈が浅いところを通っていて、表面から脈を触れられる部分がいくつかある。代表的なのは、首、わきの下、肘の内側、膝の裏、脚のつけ根、足の甲などである。病院で医療者から脈を確認されるときは、必ずこのいずれかに触れられるはずだ。
逆に他の部位では、よほど深い傷ができない限り動脈まで傷つくことはない。もちろん、体表面から脈を触れることもできない。
一方、自分の手の甲や腕を見てみてほしい。体表面に色のついた血管がたくさん走っているのがうっすら見えるだろう。これらはすべて静脈である。静脈を触っても、脈を感じることは決してない。静脈は動脈のように拍動しないからだ。
一般的に、病院で点滴や採血をされるときに注射される血管は静脈である。特別な理由で動脈から採血をしたり、動脈に管を入れたりする治療もあるが、頻度としては静脈に注射する機会のほうが圧倒的に多い。動脈に注射する場合は、あえて「(静脈ではなく)動脈に注射をすること」を医療者から告げられるはずだ。
逆に、動脈か静脈かについて特に言及されなかったなら、それは「静脈に注射されている」ということである。体表面から安全かつ容易にアクセスできるのは静脈だからである。
(※本原稿は『すばらしい人体』からの抜粋です)