日本企業の自己変革には
経営者の柔軟な発想力が求められる
菊澤 : 支援に当たる中で、ダイナミック・ケイパビリティとDXをうまく組み合わせた事例は思い当たりますか。
橘 : 当社の事例に目を向けてみると、製造業の側からITに踏み込んでいくアプローチの例としては、「ものづくり企業の川上と川下」や「産業構造の特性」を見渡すことによって、業界横断の新しい事業分野開拓や、企業間をまたぐサービス創出を実現する試みが、すでにいくつかのお客様の中に見られます。いわゆる川上に位置する素材化学メーカーなどは、川下の消費財メーカーやその市場の特性がよくわかりません。そこで何がいま川下のほうで起こっているかを、将来も見据えた形で産業構造やビジネスモデルを分析して、自社のビジネスのヒントにしようというものです。
またデジタル導入・活用という側面からは、大きく2つに分かれます。1つは「ものづくりデジタル」、すなわち設計開発や製造工程にデジタル技術を導入し、効率化や高品質化を図るもの。これは従来通りの組織でもかなりのところまで行けます。一方で「事業経営デジタル」は、新しい事業を発想し立ち上げることになるので、既存の資産だけでは間に合いません。このため、新しく特別チームを編成して進めるパターンが多くなります。またプロジェクトの実行・推進フェーズでは、工場長やリーダーに、新しいもの好きの人がいると順調に進みます。それに、新規事業では費用対効果とよくいいますが、最初からコストを考えていては何も進みません。むしろ日本企業の場合、最終的にトップがやろうと言えば動き出すケースが圧倒的です。それだけに経営者やキーパーソンが、柔軟な発想ができる能力を持っているかが強く問われると感じます。
菊澤 : ダイナミック・ケイパビリティを発揮して自己変革することは、先にも述べましたが、日本企業にとってはなかなか難しいことです。先ほど触れたように、新しいことを始める場合、抵抗勢力が出現し、彼らを説得したり、根回ししたりする「取引コスト」が発生するからです。特に、日本人は社内の空気を読むのが得意すぎて、この取引コストを過大評価する傾向があります。他方、斬新な改革やアイデアほど、データがないので、それが生み出すベネフィットは過小評価され、たいてい、潰れてしまいます。
それでもなお、ダイナミック・ケイパビリティの下に自己変革するには、日本の経営者は、まさか危機に陥ることはないと思われていた日本の大企業でも危機に陥るのだという事実に注目すべきです。安定した市場の上に何十年も続いてきた大メーカーでも、いつの間にか環境の変化に取り残されていたというケースは、もはや珍しくありません。変化が常態化する時代が到来しているのです。
そして、そのうえで、あえてリスクを取ってでも新しいことに挑戦すべきか、またその時、自社に蓄積されたノウハウや暗黙知も含めた資産をどう活かせるのか。まさに、起業家精神が求められているのです。このような精神の下に、ダイナミック・ケイパビリティを発揮し、たえず変革することで、企業は持続的競争優位を得ることができるのです。
また、ダイナミック・ケイパビリティの発揮にとって、組織構造も重要です。今日、働き方改革の文脈で進められている欧米流の同一職務同一賃金制度は、すべての職務内容が明確に規定され、各メンバーが個別労働契約で各職務に張り付いている組織を前提とします。このような組織は、ダイナミック・ケイパビリティとの相性が悪く、変化に対応して既存の人的資源を自由に再配置することが難しい組織です。
これに対して、従来の日本の企業の場合、組織内の各職務内容が曖昧で相互に重複し、職務転換も多く、人材の融通が利く組織です。それゆえ、変化に対応して既存の人的資源を再構築し再配置できるので、この意味で日本企業はダイナミック・ケイパビリティと相性がいいのです。ですから、欧米流の組織制度を受け入れるにしても、ある程度、大雑把に受け入れたほうがよいと思います。